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第18回 東京音楽コンクールの弦楽部門の本選を聴いて

第18回 東京音楽コンクールの弦楽部門の本選を聴いてきた。
今年は、こういう状況のために、あまり生で音楽に接することができず、寂しい思いをしているのだが、最後に登場した前田 妃奈さんの渾身の演奏に深い感動をあじわうことができた。
もちろん、この数箇月は、在京の団体が徐々に演奏会を再開されていることもあり、それなりに生で音楽に接する機会も増えているのだが、代役で登場する演奏家の質がいまひとつで、大きな物足りなさを覚えさせられていた。
この日の本選には、計5人のソリストが登場したが、最終演奏者の前田さんが登場するまでは、演奏の質が低く、全く心を揺さぶられることなく退屈していたのだが、最後の最後で素晴らしい演奏に触れることができた。
この日に登場した演奏者の中では、最年少だが(高校生)、先ず、舞台に登場してきたときの表情に感心した。
それは「風格」ともいえるもので、「舞台人」として聴衆に対して音楽を届ける機会をあたえられたことに本質的に内在する心構えができているという印象を受けた。
その意味では、他の演奏者を圧倒する存在感を示していたと思う。
演奏も実に見事なもので、彼女が作品(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)を心から愛していることを実感することができたし、また、全ての音符を自己の感性で吟味したうえで心を籠めて奏でていることをヒシヒシと理解することができた。
その作品を演奏することに対する必然性を感じさせる演奏と思えたのである。
そうした意味では、この日においては、「舞台芸術」として、演奏者の内的真実に裏打ちされた「芸術表現」として成立していた唯一の演奏だったと思う。
何度となく泪が溢れてきた。
数年前に、同コンクールの本選で、同じ曲を荒井 里桜さんの天を翔けるような瑞々しい躍動感と清澄感に溢れた名演を聴いたが、前田さんの演奏は、それとは異なり濃厚な情念を籠めぬきじっくりと進んでいく演奏で、これはこれで作品の本質をとらえた名演だと思う。
これでさらに生理的な躍動感や推進力が備わると一段も二段も上の次元の演奏に進化するだろう。
しばらくまえに、マリオ・ブルネロのマスター・クラスを観覧したときに、彼が生徒に言った言葉が思い出される。
「その演奏は先生に褒めてもらうための、いい得点をもらうための演奏です。しかし、あなたは今舞台の上で聴衆を前にして演奏している。あなたの目的はこれらの方々の心を震わせることにあるのです。」
個人的には、これこそが舞台芸術の要諦だと思っている。
芸術というのは、「うまい」だけではどうにもならないものだと思うし、また、その演奏に対する評価として、単純に「うまい」というのは、むしろ、実は否定的なものとさえいえるのではないか思うのである。
前田さんは神尾 真由子さんの弟子ということだが、そのことを体で理解していたのは、前田さんだけだったように思う。
これからが楽しみな演奏家である。

 

IN-SHADOWを観て


 

https://www.inshadow.net/

 

先日、SNS上で紹介されていたので、観てみたのだが、これは素晴らしい作品である。
非常に凄絶な批判精神をもって現代に於ける人類の姿をとらえているが、「インテグラル」(Vision Logic/Teal)的な視点を通して世界を視るとは、正にこの作品にあるように、人間の営みそのものを「外部」から眺めることである。
それは、あえていえば、地球外生命体の視点をとおして人類の営みを眺めるということであり、あるいは、地球上に生まれたときの感性をとおして人類の営みを眺めるということである。
映画『もののけ姫』の中に「曇りなき眼で見定め、決める」という台詞があるが、そこに籠められた意味ということもできるだろう。
インテグラル(Vision Logic/Teal)段階の思考形態は、Kurt Fischer等の認知心理学者により「advanced systems thinking」と説明されるが、それは自己の存在を包み込み、また、自らが生きる世界を覆い尽くす「マクロ・システム」そのものを対象物として意識の中に収め、それを眺め検証・探求することであるといえる。
そのためには、単に知識や情報をつなぎあわせるだけでなく、たとえば正にこの映像作品がそうであるように、物事の本質や深層をある種の芸術的な感性(あるいは、美的な感性)をもって直感的にとらえることが必要になる。
人間の発達に関する研究に於いて、こうした「芸術的な感性」に関して言及されることはないようだが、実際には、それは非常に重要な意味をもつ「必須条件」とさえいえるものなのだと思う。
たとえば、思想家のケン・ウィルバーは、人間の内面領域を司る価値観を「美の感覚」と説明しているが、そうした感性が十全に開発され機能していないと、内的な深化を希求する情熱を得ることができないまま一生を生きることになってしまうのである。
実存主義心理学者のRollo Mayは、この発達段階について膨大な臨床実践を通じて探求した実践家であるが、彼は、この段階を「智慧」(wisdom)の段階と形容して、それは「知識を含み超えるもの」(knowledge plus)であると述べている。
いうまでもなく、ここでいう「plus」とは、より多くの書籍を読んで知識を収集すれば得られるというものではない。
それは、ある意味では、知識の限界を、そして、知識を収集・整理・統合すればそれで充分であるという発想の限界を認識するところに生まれるものであるともいえるだろう。
そして、そうした認識の土壌と萌芽は、われわれが心の内奥に息づく「美の感覚」の中にあるのではないだろうか……。

 

映画『マトリックス』が「ティール」について示唆すること


久しぶりに“The Matrix”(『マトリックス』)(1999)を観た。
現在ひろく注目を集めている「成人発達理論」に於いて「ティール」(Teal)と呼ばれている段階について説明するときに、その本質を端的に紹介する作品としてしばしば引用される映画であるが、あらためてこうして観直すと、随所に洞察に溢れる台詞が配されていることに気づかされる。
今回とりわけ印象的だったのは、次の台詞である。
これは、主人公のNeo(Keanu Reeves)が「マトリックス」への従属状態から解放されて、その「第二の誕生」のトラウマから回復するところで、師にあたるMorpheusとのやりとの中で発せられることばである。

 

Neo: What are you doing.
Morpheus: Your muscles have atrophied, we're rebuilding them.
Neo: Why do my eyes hurt?
Morpheus: You've never used them before. Rest, Neo. The answers are coming.

 

先ず興味深いのは、回復のためには、衰えた筋肉を再構築する必要があると述べられていることである。
思想家のケン・ウィルバーは、「ティール」段階の本質的な要素として「心身の統合」をあげているが、そこでは身体性というものが非常に重要な意味をもつことになるのである。
もちろん、それまでの段階に於いても、「体」は重要な意味をもつし、また、多くの人はそれを熱心に鍛えたり、労わったりしているものである。
ただ、われわれがここで留意すべきことは、この段階に於いて「体」というものが、質的に新しい意味でとらえなおされることになるということである。
換言すれば、「マトリックス」の中で生きるために体をケアすることと「マトリックス」の外で生きていくために体をケアすることの間には、根本的な差異が存在するということなのである。
そして、人はあらためて自己の体について深く探求し、それまでとは異なる体との関係の持ち方を発見する必要があるのである。
この問題と格闘することは、「ティール」段階に向けた――非常に長期に渡る――旅を舵取りするために必須の実践となるのである。

そして、上記の台詞の中でもうひとつ興味深いところは、これまでに完全に閉じられていた「目」が新しく開かれることになるということである。
もちろん、これは、肉体的な意味で視力が高まるということではなく、これまでに全くその存在を察知することのなかつた現実の次元や領域に対して心や魂の目が開かれるということである。
また、台詞は、そうして新たに開かれた目を通して視れるようになることが――少なくともはじめのころは――痛みを伴うことも示唆している。
多数の研究者は、「成長」や「発達」、あるいは、「個性化」や「自己実現」といわれるものが、一般的な期待に反して、幸福を保証するものではないことを指摘している(むしろ、大きな危機や危険を伴うものであることを強調したうえで、それを無邪気に追い求めることに対して警鐘を鳴らしている)。
われわれは、成長過程の中で「成長痛」を経験してきているが、心理的な変化や変容に於いても「痛み」は不可避的なものとして憑いて回るのである。
この映画の面白いところは、数分程の短い台詞の中にこんなことを考えさせる洞察が散りばめられていることであろう。

実際、戦慄をもたらす凄惨な現実を目のあたりにして一時的に錯乱状態に陥る主人公に対して、「師」のMorpheusは次のような言葉を投げかける。

 

Neo: I can't go back, can I?
Morpheus: No. But if you could, would you really want to? I feel I owe you an apology. We have a rule. We never free a mind once it's reached a certain age. It's dangerous, the mind has trouble letting go. I've seen it before and I'm sorry.

 

基本的に、人間は、いったんある現実を認識してしまうと、そうして得た知恵や知識を捨てて、過去の無知の状態に後退することはできないものである。
しかし、われわれは、また、そうした得た知識や知恵の重圧を背負いながら生きることを求められつづけることにもなる。
そのための耐性や強靭性が伴わないとき、そこには必ず危険が生じるのである。
年齢を問わず、それまでに自己を支えてくれた価値観や世界観を手離すことの困難は、人間にとり、非常に大きなものである。
実際、正にそうした困難がもたらす苦痛や苦悩を避けるために、われわれは往々にして真実に抗おうとしたり、あるいは、そうした真実を示唆する人々を攻撃・排撃しようとしたりするものである。
そうした意味でも、このMorpheusの言葉は含蓄に富むものである。

 

「インテグラル・ライフ実践(ILP)」連続講座

日本ホリスティック医学協会会長の降矢 英成さん(赤坂溜池クリニック院長)に御声を掛けていただき、下記の連続講座を実施することになりました。先日、告知が下記のURLで公開となりましたので、御紹介しておきます。

 

http://holistichealthinfo.web.fc2.com/kouzainfo.html

http://holistichealthinfo.web.fc2.com/202007_integralprac_course.pdf

 

 

「インテグラル・ライフ実践(ILP)」連続講座

 

ホリスティック医学の一つの柱となるのが、ホリスティック、統合的(インテグラル)な価値観・世界観をもつことです。
今回の連続講座では、「インテグラル理論」の実践としての「インテグラル・ライフ・プラクティス(ILP)」の全体像を示すと共に、各回ではそれぞれの領域の専門家を招待して、その領域の探求の仕方や留意事項について議論を紹介します。

 

講座の概要
10/9 第1回 総論 降矢 英成(赤坂溜池クリニック院長) & 鈴木 規夫(インテグラル・ジャパン)
10/23 第2回 シャドー ゲスト講師:向後 善之(臨床心理士、日本トランスパーソナル学会事務局長)
10/30 第3回 マインド 鈴木 規夫(インテグラル・ジャパン)
11/13 第4回 ボディ ゲスト講師:降矢 英成
11/27 第5回 スピリット ゲスト講師:戸田 美紀(NPO法人日本ヒーリングタッチ協会会長)
12/11 第6回 倫理とまとめ ゲスト講師:後藤 友洋(インテグラル・ジャパン)

 

会場:ホリスティックヘルス情報室セミナー室
(地下鉄「溜池山王」駅9番出口徒歩2分)

 

申し込み方法
「インテグラル・ライフ」講座申込として、下記の項目をメールまたはファックスでお送りいただき、お振込下さい。振込をもって正式受付となります。
々嶌駄
日程
氏名(ふりがな)
そ蚕
ハ⇒軅茵陛日つながる電話番号)
Eメール・アドレス
*zoom受講希望の方は「zoom希望」とお書き下さい。

 

詳細案内

2020年8月末に日本能率協会マネジメント・センターより、アメリカの思想家ケン・ウィルバーが著した唯一の実践書『Integral Life Practice:私たちの可能性を最大限に引き出す自己成長のメタ・モデル』(ILP)が翻訳を新たにして刊行されます。ILPとは、わたしたちが総合的・統合的(holistic・integral)な治癒や成長にとりくんでいくうえで留意すべきメタ・モデルです。
具体的には「体」(Body)・「心」(Mind/Heart)・「スピリット」(Spirit)・「シャドー」(Shadow)・「倫理」(Ethics)という領域が含まれ、ウィルバーは、これらの領域のそれぞれに日々の暮らしの中で継続的な実践にとりくんでいくことが、心身の健康を維持し、また、成長をしていくために非常に重要と述べています。即ち、ある限定的な領域で実践にとりくむだけでなく、これらの領域のすべてに意識を向けて、それらを互いに結びつけた統合的な実践にとりくむことを推奨しています。

◎本連続講座の次のような方々にとりわけ有益なものとなります
・ご自身の治癒や成長を促すために、既にある特定の領域において実践にとりくんでいるが、このあたりでそうした日々のとりくみを観直して、よりバランスのとれたものにそれを進化・深化させていきたいと思われている。また、そうした統合的な観点から、他者の治癒や成長を支援していきたいと思われている方
・これから自身の治癒や成長について真剣に考えていきたいと考えており、そのための基礎的な知識やスキルや地図を必要としている方
・「インテグラル理論」を日々の暮らしの中で活用するための方法を理解したい方

ただただひたすら残念な演奏会

#32 ルビー・アフタヌーン・コンサート・シリーズ
新日本フィルハーモニー@すみだトリフォニーホール
2020.07.17 FRI
https://www.njp.or.jp/concerts/8792

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op. 15*
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944「グレイト」

指揮:太田 弦
ピアノ:田部 京子*

 

少し時間が空いたが、先日の太田 弦&新日本フィルハーモニーの演奏会@について感想をまとめておきたい。
当初の予定では、音楽監督の上岡 敏之が指揮をするということで非常にたのしみにしていたのだが、直前になり事務局より上岡氏の帰国が不可となり、代役として太田氏が指揮をすることを知らされた。
こうした特別な状況下では、生で音楽を聴けることそのものに対する感謝の気持ちが先に立ち、演奏そのものに関しては感想が後回しになるのだが、この日の演奏会に関しては、そうしたことを脇に置いて、少し感想を書き留めておきたいと思う。
というのは、太田氏の表現者としてのあまりの未熟さに、ただただ呆れてしまい、そうした「生で音楽を聴けることの純粋な喜び」を完全に吹き飛ばしてしまうほどに、恐ろしく退屈な想いをさせられたからである。
デビューしたての指揮者にこんなことを言うのは可哀想かもしれないが、しかし、正直なところ、「聴衆を前にして舞台に立つのは早すぎるのではないか……」と思わせられるほどに「+α」の無い演奏なのである。
当然、聴衆はこの日の曲をこれまでに何度も聴いているが、全編を通じてほとんど発見が無いのである。
それまでにCDで繰り返し聴いてきた作品でも、生で聴けば、そこには普通は何らかの発見があるものだが、そうした感覚を全くあたえてくれないのである。
また、目の前の演奏に客席で耳を澄ませていると、過去に耳にした演奏が次々と思い出されてくる。
「ここは、あの演奏ではもっともっと素晴らしかった……」
「ここは、あの演奏ではもっともっと感動的だった……」
「この作品とは、これほどまでにつまらない作品なのだろうか……」
もちろん、こちらも舞台上の演奏者に敬意を表して、何とかそこに素晴らしいものを見出そうとするのだが、何も無い。
個人的に特に気になったのは、太田氏の指揮振りを眺めていて、練達の奏者達に自己の解釈と表現をもって挑んでいこうとする意志や気迫が非常に希薄に感じられるということだ。
そこには、曲を知り尽くした奏者に対して果たして何を付加して伝えようとしているのかは全く見えないのである。
端的に言えば、あまりにも表現欲求が弱く、また、情報量が少なすぎるのである。
特に後半の「グレイト」を聴きながら、この異形の名曲がこれほど浅くつまらなく聞こえることに、怒りを覚えたほどだ。
頻繁に演奏会に足を運んでいれば、多かれ少なかれ落胆させられる演奏会というものはあるのだが、しかし、これほどまでに空虚なものというのは、そうそうあるものではない。
生の音そのものに内在する本質的な力が必ず心を揺さぶってくれるものだからである。
しかし、この日に関しては、気がつくと、心は他の演奏に向けて「逃避」をしてしまう。
「これが上岡であってくれれば……」と心の中で何度も念じてしまうほどだった。

前半のベートーヴェンに関しては、田部 京子のソロの美音が魅力的ではあったが、ただ、基本的には、繊細・優美な音色だけで勝負しようとするので、どうしても一本調子に陥ってしまう。
この曲に関しては、田部のアプローチでも、それなりに楽しませてくれるが、しかし、そこには、それだけでは表現することのできない雄々しい男性性が確実に息づいていると思う。
確かに、第1楽章のカデンツァには、そうした熾烈な想いが籠められてはいたが、そうした表現が非常に部分的で、全体としては、あまりにも「弱い」演奏に終わった。
田部 京子というと、吉松 隆の『プレイアデス舞曲』で示したあの優美な美音が想起されるのだが、まさにあの音だけでベートーヴェンを演奏するとこうなるということなのだろう。

NJPは、弦は本来の美しさをとりもどしているが、管はまだまだで、前半・後半共に荒が目立った。
また、聴衆の集中力も、先日のサントリーホールの聴衆のそれとくらべると、著しく落ちるものだった(楽章間の傍若無人とした拍手や演奏中のひんぱんな物音等、常にたるんだ空気が漂う)。
今日は、ただただひたすら残念な演奏会だった。

 

 

“I think the important thing is that the review has to be first person. You are the person writing your review. It’s your opinion. You are not stating some kind of objective truth. And I am amused sometimes when people will write to me to say that I should be a more objective critique because objectivity and criticisms have nothing to do with each other. It’s all subjective. It’s all first person opinion.”
- Roger Ebert

告知:ティールとは何か〜人と社会の変容を生み出すための方法〜

日本トランスパーソナル学会の主催のイベントで、天外 伺朗さんと共に現在多方面で注目を集めている「ティール組織」に関する講演と対談をすることになりました。詳細情報が確定しましたので、御紹介しておきます。

 

https://transpersonal.jp/6443/

対人支援とインテグラル理論

先日、告知をしたように、臨床心理士として活躍される廣田 靖子さん(https://mindset.tokyo.jp/)と一緒に「対人援助職のためのインテグラル理論入門講座」(オンライン)を開催します。

 

告知・対人援助職のためのインテグラル理論入門講座(オンライン)
http://norio001.integraljapan.net/?eid=379

 

先日、確認したところで、ほぼ定員に達したとのことでしたが、もしかしたらまだ数名の枠は残っているかもしれないので、御興味のある方は、上記のリンクより御連絡いただければと思います。
今回の企画に関して廣田さんより話をいただいたときに、はじめに思ったのは、「インテグラル理論の価値というのは、心理臨床をはじめとする対人支援に携わる実践者の方々こそ、もっとも実感をともなって理解してもらえるのではないか……」ということでした。
インテグラル理論には、精神的な大きな危機に直面しているクライアントに寄り添うときに、その危機に的確な意味づけをし、それをクライアントが自己の人生の中に的確に位置づけるのを支援するために必要となる概念がひととおりそろっています。
そして、対人支援の重要な要素のひとつが、意味の構築という、人間の中に息づく根源的な欲求を充たすための支援を提供することにある以上、多様な人間が普遍的に経験することになる共通のダイナミクスについて概念的に認識していることは――そして、それを生きた人間の生々しい現実に耳を傾けながら、それを意味ある物語として編み上げるプロセスに効果的に寄り添えることは――優れた支援者としての重要な条件となります。
もちろん、そのほかにも、支援者に求められるスキルは数多くありますが、これは特に重要なものであるといえます。
インテグラル理論の提唱者であるケン・ウィルバーは、「意識ができることそのものが治癒をもたらすのである」という意のことを述べていますが、そのためには、的確に「概念化」できるが力が必須となるのである。
このあたりは、正にインテグラル理論が本領を発揮するところといえるのです。
また、こうした能力は、クライアントの状態・状況を的確に把握・診断する能力と密接に関連しています。
共同作業に於いて、クライアントの積極的な関りが必須となる以上、先ずは現状に関する把握と診断にクライアントが深く納得できることは非常に重要になります。
そこで躓いてしまうと、その後の作業は半ば不可避的に難航することになるからです。
長年にわたり対人支援をしていると、ときとして、「解決されるべき問題」として自己を認識することで(実存主義心理学者ロロ・メイの言葉)、他者が推し量れないほどに深い苦悩を抱えている方々を支援することがあります。
とりわけそうした場合には――これは被支援者としての自分自身の体験にもとづいて確信をもって言えることですが――支援者は、そうした特殊な苦悩の存在に開かれた理論体系を体得していることを必須の条件として求められることになります。
そうした背景を携えてクライアントと出逢うことができないと、その瞬間に相互の関係が半ば有効性を失ってしまうことになるのです。
そうした意味でも、支援者が真に統合的な概念体系を習得していることは、大きな価値をもつことになるのです。
今回の講座では、こうしたことに留意しながら、初学者の方々にもたのしんでいただけるよう、インテグラル理論を紹介していきたいと思います。

 

現代人の心に潜む脆弱性

SNS上では、定期的に学校社会の中で強制されている異常な校則に関する記事が回覧されてくるが、それらの記事を眺めたときに心配するのは、そうした環境の中で長年暮らし、そこで人格形成期を過ごしてしまうと、「規則」を無批判に受け容れるべきものとして認識してしまう癖を心の奥底に刷り込まれてしまうのではないかということだ。
即ち、そうした環境は、規則というものが、管理・支配する側のためにあるのではなく、そこに暮らすひとりひとりの幸福に寄与するために存在すべきものであり、また、諸々の規則を真に理に適うものとするために、ひとりひとりには、その妥当性を徹底して批判的に考える権利と責任が課されていることを忘れさせてしまうのではないかと深く危惧させられるのである。
それがいかに理不尽なものであっても、しばらくのあいだ我慢をしてやり過ごせばいいのだ――という発想に陥ることを実質的に「鼓舞」するシステムが全国に隈なく張り巡らされていることの危険性について、もっともっと意識を向けてもいいと思う。
実際、そうした「権利と責任の放棄」は、大多数の「大人」にも当てはまることであり、その意味では、こうした危険は既に致命的なレベルに到達しているといえるのではないかと思う。

ところで、「成人発達論」においてひろく注目を集めている「後慣習的段階」といわれる段階の思考を確立するためには、こうした人格の基本的な領域に刷り込まれている「障害」をしっかりと治癒することが非常に重要になると思う。
特に同調圧力が強い日本で人格形成をしたわれわれは、半ば不可避的に、こうした基礎的な領域で深刻な脆弱性を心の内に抱えて生きている。
発達心理学者が言うように、基礎的領域における脆弱性は必ず「高次」に向けた成長を阻害することになる。
先に「進む」ためには、どうしても「戻る」必要があるのである。
それは、端的に言えば、自己の「影」(Shadow)に内包されている課題を省察するということであり、また、そうした問題が次世代に再生産されることがないように、社会的な発言や活動をするということになるのだろう。

「後慣習的段階」といわれる段階の思考を特徴づけるのは、「自己」という主体がいかなる文化的・社会的な文脈の中で形造られてきたのかということについて歴史的な視点をとおして深く省察できることでもある。
即ち、そこでは、重要な問題は、「どうすれば成長・発達できるのか?」ではなく、「そもそも“自分”という存在はいかなる要素が複合的に相互作用することにより、ここに存在しているのか?」というものに変質していく。
そこでは、「わたし」という「存在」はひとつの「虚構」として、「構築物」として眺められることになるのである(あるいは、特に洞察力をそなえた人であれば、そもそも、そんなものは実在しないことに薄々と気づくことになるかもしれない)。
そのとき、人は、そうした「虚構」を「成長」させたり「発達」させたりすることの無意味さを深く認識することになる(その意味では、少々逆説的ではあるが、「成長」や「発達」というイデオロギーから醒めることが、成長・発達を実現することであるといえるのかもしれない)。
むしろ、先ずはそれまでの自らの人生をそうした「虚構」の中に絡めとってきた社会的・文化的な影響に興味が向くことになるのである。

このところ、様々なところで、成人発達理論に関する概要を紹介させていただく機会に恵まれるのだが――正に、ケン・ウィルバーが指摘するように――今日われわれが直面する最大の課題は、社会全体が集合規模で半ば病理化した「体制順応型」(Amber)段階の呪縛に絡めとられつづけていることである(いわゆる「空気の支配」)。
もちろん、それは、日本だけでなく、人類全体にいえることである。正に、それゆえに、われわれは、表面的には合理的に思考しているようでありながら、結局は「空気」をとおして「供用」された物語を合理的に正当化するような思考をすることに陥っているのである。
あたえられた規則や空気を唯々諾々と受け容れて、そこに適応して生きていくように人格形成期に刷り込まれてしまうと、自律的な思考をするために必要とされる精神の筋肉を鍛錬することがないままに年齢を重ねてしまうことになる。
そうした基盤の上に自律的思考力(Orange)以降の思考力を確立するのは、途轍もなく難しいことになるのは明らかであろう。
そうした意味では、成人期の発達支援に真摯に関与しようとするほど、人々の基礎的な人格形成期に影響をあたえる社会的・文化的な状況に関して深い問題意識を抱くことにならざるをえないのだろう。

 

「シャドー」に対するリテラシーを高めること

このところ、臨床心理士の方々と立てつづけに意見交換をする機会があったのだが、「シャドー」(Shadow)領域の作業というのは、「爆弾処理」のそれに似ていると思った。
「シャドー」の領域というものが存在し、また、その領域の探求や治癒にとりくむことが重要であることは、ある程度勉強すれば理解できるのだが、実際にそれに深くとりくもうとすると、どうしてもその領域の専門家の助けが必要になる。
というのも、そこで間違いがあると、深刻な「事故」や「爆発」が惹き起こされることになるからだ。
ケン・ウィルバーは、様々な著書の中で「シャドー」領域の重要性を指摘し、また、そのために読者がとりくめるいくつかの簡便な方法を紹介している。
そのことには途轍もない価値があるとは思うが、ただ、われわれが気をつけなければならないのは、それがときとして爆弾処理に似た大きなリスクを伴う作業となりえるということだ。
そのためには、どうしてもプロの支援が必要となるのだ。
あらゆる領域の実践には「art」としての側面があると思うのだが、この「シャドー」領域に関しては特にそれが言えるのではないかと思う。
「シャドー」領域の探求に心を開こうとすると、この世界の最も勇猛果敢な人でさえたじろいでしまうような「恐怖」が生まれるものだが、そうした逡巡の只中にある者に招きの手をさしのべて、そして、その旅路に寄り添うことができるためには、正にそうした「art」と形容すべき資質と能力が求められるのである。
そうした意味では、「シャドー」領域の探求にとりくむに際しては、先ずは支援を求める決意をするということが重要になるのだと思う。
特にある程度の社会的な影響を発揮する立場にある人には、「シャドー」領域に関する支援を求めるというのは必須の責任となると思う。
シャドーはその人物の思考と行動の全てに忍び込み影響をあたえることにあるが、それが意識化されないために生み出される悲劇の規模は、その人の社会的な影響力が高まれば高まるほど、真に深刻なものになる。
ときとして、「シャドー」の領域に課題や問題がそのまま治療されずに温存されているからこそ、それが「エンジン」となって、その人の猛烈な行動を可能としているということもあるのだろう。
しかし、それが「+」として見做されえるのは、その人の社会的な影響の範囲が非常に小さなものであるうちであろう。
とりわけ、共同体の重要な意思決定に携わる立場に就いている者に於いては、この領域の課題や問題を放置しつづけることは、それは多数の人々に深刻な被害をもたらすことになる。
日本だけでなく、人類社会全般にいえることであるが(これは、また、発達心理学者のZachary Steinが強烈な批判を展開しているところでもあるが)、今日、われわれ人類は健全なリーダーを育成するということに於いて、完全に失敗をしている。
誇張ではなく、われわれは正に「カキストクラシ―」という言葉が意味する「最悪の者達による統治」の下に生きているのである。
いわゆる「リーダー」といわれる人々がこれほどまでに劣化している原因は多様であるが(Steinは、教育にその主たる理由があると主張している)、こうした状況を修正していくために、リーダーの病理を的確に看破する鑑識眼をひろい範囲の人々が涵養していくことが必要となるのは明らかであろう。
そして、そのためには「シャドー」に対するリテラシーを高めることは非常に有益となるのである。

 

告知・対人援助職のためのインテグラル理論入門講座(オンライン)

臨床心理士として活躍される廣田 靖子さん(https://mindset.tokyo.jp/)と協力して、「対人援助職のためのインテグラル理論入門講座」(オンライン)を開催することになりました。
先日、昼食をとりながら意見交換をしているときに、廣田さんは次のように御自身の問題意識を語っておられました。

 

"このところ、「成人発達理論」をはじめてとして、インテグラル理論の重要な構成要素に関する情報が徐々に日本語で入手できるようになってきています。とりわけ、いわゆる「組織論」の領域に於いては、そうした知識を活用するための試みも徐々に活発化しているように思います。ただし、心理臨床をはじめとして、深い意味の個人の治癒や変容に日々の仕事をとおして携わる実践者に対してカスタマイズされた情報や技術の提供はまだはじまっていないようです。ただ、そうした知見を求める声は多数聞こえてきているので、そうしたニーズに応えるための場を提供したいと思います。"

 

今回の講座では、純粋にインテグラル理論の概要を紹介するだけでなく、一歩踏み込んで、「クライアントを効果的な支援するためにインテグラル理論をどのように活用することができるのか?」というポイントを強調して、情報を提供し、また、参加者の方々と意見交換をしていきたいと思います。

 

告知ページ

対人援助職のためのインテグラル理論入門講座

(オンライン)