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論文紹介 - 「臨機応変の意思決定手法」
論文紹介
鈴木 規夫
 
デイビッド・スノウドン & メアリー・E・ブーン
「臨機応変の意思決定手法」
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー
2008年3月号所収
http://www.dhbr.net/articles/-/495にて購入可能
 
David J. Snowden & Mary E. Boone
A Leaders Framework for Decision Making.
Harvard Business Review, November 2007.
 
人間の心理的・霊性的な成長とは、常にその存在をとりまく生存環境(life conditions)との関係の中で生まれるものである。そして、関係性の中で個人の成長をとらえようとするこの視点は、過去数世紀にわたる人類の心理学的な探求を貫いてきた重要な要素でもある。
われわれは、誕生の瞬間から最期の瞬間まで、みずからの存在を物理的・生理的・心理的・精神的にとりまく環境と絶え間ない交流と交感をつづけ、その相互関係の中で自己を確立し、探求し、鍛錬し、治癒し、超克していくことになる。それゆえ、われわれには、一生をとおして、生存環境にたいして自己の存在を開きつづけることが求められることになる。つまり、刻々と変化する生存環境がもたらす刺激を咀嚼しながら、それを糧にして、自己の「旅」を創造的に展開させていくことが求められるのである。
とりわけ、インテグラル・ライフ・プラクティス(ILP)をはじめとする統合的な実践活動をとおして、自己の存在と変容にたいして主体的な責任をとろうとするとき、内面的な希求や欲求に耳を澄ますだけでなく、世界や時代を洞察し、それが衝きつけてくる課題や要求や恩寵と対話をすることが必須となる。ビクトル・フランクルが言うように、自己実現とは、結局のところ、世界の要求にたいして自己を開くことのなかで可能となるものなのである。換言すれば、自己変容のプロセスとは、内的世界と外的世界を自己の内に抱擁できるようになるときに、はじめて端緒に着くことができるものなのである。
今回、御紹介するのは、二人のコンサルタントによる「臨機応変の意思決定手法」というHBR掲載の論文である。この論文の中で、著者のスノウドンとブーンは、「単純」(simple)・「込み入った」(complicated)・「複雑」(complex)・「カオス」(chaos)という、現代社会に重層的に存在する4つの生存環境を示しながら、それらが異なる意識と能力と行動を要求するものであることを解説する。即ち、現代社会において、その多面性と力動性(ダイナミズム)と複雑性を考慮しながら、的確な思考と行動ができるためには、少なくともそれらの生存環境に柔軟に適応するための総合的な能力が必要となるというのである。
それぞれの生存環境は特定の価値観や世界観を擁護し、また、特定の思考形態や能力体系や行動形態の開発を鼓舞する。そして、今日においては、それらは限定的な妥当性を有しながら――また、しばしば相互の軋轢をひきおこしながら――重層的に存在している。今日、われわれに求められているのは、この世界が現出させる表情としてのそれら質的に異なる生存環境を認識して、それぞれの文脈において要求される諸能力を涵養することなのである。
それでは、ここで簡単にそれら4つの生存環境を概観してみよう。
 
「単純」(simple)
これは、日常生活が恒常的に安定している状況のことである。そこで生じる課題や問題とは、基本的には、既存の方法や枠組をそのまま適応することで解決される。課題や問題が発生したときに求められるのは、あくまでもそれを正しく分類することであり、それができさえすれば、解決の方法はおのずと明らかになる。また、ほとんどの場合、そこで採用されるべき解決策は、それほどの議論をしなくても、関係者が同意できるものである。たとえば、ある業務を遂行するために必要となる資源が不足していることが判明したときには、組織内の公式・非公式なルートを通じてそれを確保するための施策を練ればいいのである(また、追加資源の確保が難しい場合には、業務の規模を縮小したり、業務の完了日を延期したりすればいい)。
単純な生存環境において、われわれに要求される能力とは、課題や問題の性質を的確に見極めて、それに対処するために最善の方法を社会や組織に蓄積されている集合的財産の中から正しく選択する能力である。そのために必要とされるのは、みずからにあたえられた職務や役割を果たしていくために求められる知識や技術や経験の習得に励むことであり、また、それを滞りなく活用できるように、人間関係の充実や信頼性の確保等の「下地」の準備に普段からとりくむことである。
*こうした生存環境は、インテグラル思想の発達論にもとづいていえば、神話的合理性段階〜前期合理性段階の行動論理が求められる文脈である。
 
「込み入った」(complicated)
これは、現象の本質を見極めるために、緻密な分析や検証が必要となる状況のことである。単純な生存環境の課題や問題が自明のものであるのと異なり、込み入った生存環境のそれは、調査・実験・解析をしたときにはじめてその本質を明らかにするものである。
こうした種類の問題が発生した場合、関係者は、そこに問題が存在していることは認識するのだが、果たしてそれがどのような問題であるのかを確信をもって把握することができない。その原因は要因Aによるものかもしれないし、要因Bによるものかもしれないし、あるいは、要因Cによるものかもしれない。また、もしかしたらそれは関係者がまったく予想もしていない別要因によりひきおこされているものかもしれない。
たとえば、われわれは体調不良が続くときに病院で専門医の診察を受けるが、問題の原因が明らかでないときには、複数の可能性を考慮したうえで、いくつかの検査を受けることになる。こうした検査の結果を踏まえて、医師は問題の原因を特定して、対処法を呈示してくれるのである。
また、この生存環境においては、たとえ課題や問題の原因が特定されたとしても、その対処法は必ずしも自明ではない。往々にして、それぞれに長所と短所をもつ複数の選択肢が存在しており、また、ある具体的なケースにおいて、果たしてどれが最適なものであるのかということは――あるいは、それらをどのように組み合わせればいいのかということは――明らかではない。われわれはしばしば完全な確信を得られないままに問題解決作業をはじめねばならないのである。
込み入った生存環境において、われわれに要求される能力とは、安易に結論を出すのを戒めて、慎重に現象を観察・調査・分析しようとする開かれた態度を維持する能力である。また、それは、実際にそうした観察・調査・分析を実施するうえで用いられる専門的な知識や方法に下支えされている必要もある。
その意味では、この生存環境においては、われわれには、ひとつの探求領域の知見に立脚して、具体的な課題や問題にたいする有益な知識や洞察を呈示するための能力が求められるということができるだろう。また、そうした能力をそなえた人々の価値を認識して、それらの英知を課題や問題の解決のために結集していける統率力と融合力が要求されることになる。
*こうした生存環境は、インテグラル思想の発達論にもとづいていえば、後期合理性段階の行動論理が求められる文脈である。
 
「複雑」(complex)
これは、多様な要素や条件が相互に密接に絡み合うことで成立している生存環境である。同時並行的に展開している複数の施策が、相互に影響をあたえあいながら、全体として非常に力動的(ダイナミック)な空間を形成している。また、いうまでもなく、その空間はひとつの共同体を形成しつつも、同時に他の共同体や生態系と交流をしながら、そこからも影響を受けている。
こうした生存環境の中で発生する問題は、往々にして、定義することそのものが困難を極めるものとなる。たとえそこに問題があることが察知できたとしても、そもそもそれを解決するとはどのようなことなのかを想像することそのものが難しい。また、そうした問題を生みだしている要因をいくつか特定できたとしても、果たしてそれで重要な要因のすべてを把握したことになるのか、また、それらの要因がどのように相互に影響しあっているのかということを見極めることはできない。
スノウドンとブーンは、複雑な生存環境を熱帯雨林に喩えて、次のように説明をする。
「フェラーリは複雑な機械だが、ベテランの整備士ならば、一度外した部品を寸分違わず、元の位置に戻すことができる。車は静的なものであり、全体は部分の総和にすぎない。
しかし熱帯雨林は、絶え間なく変化する。気象パターンが変わり、ある種の生物が絶滅することもあれば、農業計画によって取水ルートが変わることもある。そして全体は部分の総和をはるかに超えるものである。これは『何がわからないのかもわからない』状態であり……」
熱帯雨林がそうであるように、複雑な生存環境は正に生きている空間である。たとえそれを構成要素に分解して、そのひとつひとつを精緻に理解したとしても、それはこの生存環境を理解したことにはならない。
複雑な生存環境において、われわれに要求される能力とは、全体を俯瞰する能力である。生存環境そのものが「生命体」として自然に展開していくのを観察しながら、そこに息づくパターンを洞察することが、こうした生存環境においては必須の能力となる。
生存環境は、こちらの存在そのものを包含して成立しているのであり、必然的に、こちらの行動そのものが、そこに参画している多様な関係者の反応をひきおこし、それらがまた新たな慣性や機会を創出していくことになる。
こうした文脈の中で効果的に周囲に働きかけていくためには、長期的な観察と実験の過程の中で生存環境そのものを規定している法則を洞察することであり、そして、それと戦略的にダンスをすることが求められる。複雑な生存環境の中で必要とされる能力とは、こうした絶え間ない変化の中で洞察と探求と適応をしつづけることのできる能力なのである。
*こうした生存環境は、インテグラル思想の発達論にもとづいていえば、前期〜中期Vision Logic段階の行動論理が求められる文脈である。
 
「カオス」(chaos)
これは、あらゆるものが秩序を失い、ただ混乱・混沌のみが存在する生存環境のことである。そこにはもはや解明・発見されるべき法則や解答は存在しない。そこでは、われわれは次々と襲い掛る試練や挑戦に対処しつづけることを求められる。
こうした生存状況は、たとえば、未曾有の大災害に見舞われて、それまでに想定していた対応策が悉く無効なものとなるときのことを想像すれば、その本質を朧気に理解することができるだろう。そこで求められるのは、今、目のまえに展開する空間をひるむことなく目撃しつづけることであり、そして、瞬発力と集中力を発揮して、刻々と変化する状況に対応しつづけることである。
先述した3つの生存環境が、秩序に支えられたものであるとすれば、この生存環境は無秩序に支配されたものだといえる。「単純」・「込み入った」・「複雑」という3つの生存環境に適応するために必要とされるのは、そこに息づく秩序や法則を洞察することである。たとえそれがどれほど流動的なものであろうとも、われわれが不確実性にたいする耐性を鍛錬して、それと根気強く対峙・対話すれば、われわれはいずれはそれらの生存環境に適応するための術(すべ)を見出すことができるのである。
しかし、「カオス的な状況では、適切な解を探しても無意味である。因果関係は絶え間なく変化するため、これをはっきりさせることは不可能であり、また制御可能なパターンは存在しない。あるのはカオスだけである。つまり、これは『わかりえない領域』」なのである。
こうした生存環境の中で必要とされる能力とは、世界をありのままに目撃する能力である。
こうした状況の中では、しばしば、日常生活を規定する善悪の問題が無意味化し、われわれはそうした道徳的・倫理的な価値観を超越した世界のありのままと直面することを強いられることになる。それは、われわれが秩序性にもとづいた生存環境の中で構築してきた心理的な枠組や基盤を無意味化して、われわれの存在を根源的に揺さぶることになる。
その意味では、これは、われわれを無防備にして、ありのままの世界に露呈する生存環境であるといえる。正にそれゆえに、われわれには実存的な強靭性が要求されるのである。
また、この生存環境は、刻々と変化・変動する状況に対処しつづけるために、生物としてそなえているべき根源的な生命力を鍛錬・発揮することを要求する過酷な空間でもある。このために、たとえばILPが呈示するような人間存在を網羅的に鍛錬する統合的な実践活動が必須となる。
*こうした生存環境は、インテグラル思想の発達論にもとづいていえば、後期Vision Logic段階以降の行動論理が求められる文脈である。
 
 
冒頭に示したように、人間の能力とは、常にみずからの生きる文脈の中で開発されることになる。意識するしないにかかわらず、われわれは、常に生存環境の刺激や要求に曝されながら、その呪縛と恩恵のもとに自己を進化・深化させていくことになるのである。その意味では、同時代といかなる対話をするかは、われわれがみずからの成長と治癒と変容の旅を舵取りしていく際に――とりわけ、「存在欲求」(“Being need”)が顕在化する高次の発達段階において――そこで確立される構想と思想の拡りと深さに大きな影響をあたえることになる。
今回、紹介した論文の指摘するように、現代は、多様な生存環境が同時に重層的に存在している時代である。世界は刻々とその表情を変えながら、われわれにそれぞれに状況に相応しい異なる意識と能力を発揮するように求めてくる。そうした要求に応えるために、われわれはみずからの中に質的に異なる行動論理を涵養して、そのすべてを鍛錬しつづけなければならない。ひとつの生存環境を前提に自己の探求と鍛錬をするのではなく、全く異なる生存環境が突然に現出しえる流動的な時代に生きていることを前提とした実践観が必要とされるのである。思想家ケン・ウィルバーが言うように、時代の変化の中で成熟のありかたも、また、変化することを求められるのである。
「臨機応変の意思決定手法」という論文は、こうしたことについて考えてみるうえでも、いくつかの貴重なヒントをもたらしてくれるだろう。参考にしていただきたい。

 
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