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「メンター」と「コーチ」
先日、ある世界的なビジネス・スクールの統括者の講演を聴きにいつた。講演の内容は主にそのビジネス・スクールで提供されるトレイニングを支えている学習理論(learning theory)を紹介するものだったのだが、講演後の質疑応答の中で、いわゆる「コーチング」に関する非常に興味深い意見が示されたので、紹介しておきたい。
 
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「メンター」(Mentor)と「コーチ」(Coach)の違いについて
 
往々にして、クライアントは、コーチにたいしてコーチ自身が実務者として豊富な経験と能力と成功を有していることを求める傾向にある。
しかし、これは、実は「コーチ」ではなく、「メンター」を選定するときに検討すべき項目である。同じ実務の道を歩む者として、己の先を進む先輩に期待するものを挙げているのである。
しかし、コーチとはそういうものではない。むしろ、コーチをコーチたらしめているものとは、理論家としてクライアントの学習を促進する能力にあるのである。たとえば、テニスのコーチは、クライアントよりも優れたテニス・プレイヤーである必要はない。窮極的にはクライアントの学習・変容・成長を促進できればいいのである。
ただし、クライアントはコーチの支援や指導のもと――その二人の間に構築される関係性の中で――あらたな認識や行動のパターンを習得する。そうした文脈を構築するうえで、コーチが、クライアントが経験しているのと同様の状況を体験的に理解していることは、やはり重要な条件となるだろう。習得されるべきものをコーチが全く体現できていないとすれば、そこには成長を効果的に促す関係性そのものが構築できないのではないだろうか……。
その意味では、コーチというものは、必ずしも純粋な理論家ではなく、少なくともひとつの要素として、メンターの素養が求められるのである。
 
ただし、講義の中でも指摘されていたように、メンターは、しばしば、自己の経験を恣意的に理論化・普遍化してしまい、偽の理論を構築してしまうことがある。己の成功例に呪縛されてしまい、それがひとつの道の歩み方に過ぎないことを認識できないのである。
その意味では、理論的な訓練を受けていないメンターが呈示する理論は、往々にして、単なる似非理論でしかないことが多い。そして、われわれがメンターをコーチとして位置づけはじめた途端――その似非理論を正当な理論として誤解しはじめたとき――その関係性は歪んだものになるのである。
 
それでは、コーチの理論家としての役割とは具体的にどのようなものだろうか?
 
1. 「型」(“Best Practice”)を紹介・呈示すること
先ず求められることは、クライアントにたいして、そのひとが習得すべき「型」を示すということである。もちろん、クライアントの直面する課題・問題・状況に応じて、紹介される「型」は臨機応変に調整される必要がある。また、コーチの立脚する「思想」「流派」に応じて紹介される「型」は自然と偏ることになる。しかし、「型」を呈示するということは、コーチの普遍的な責任である。
クライアントの求めるものとコーチの提供するものが真に適合するかどうかは、しばしば、両者が立脚する思想や流派の親和性に依存することになる。
 
2. 「型」の理論的な解説
基本的には「型」は実践者に模倣を求めることになるが、成人を対象とした場合には、それを構成要素に分解して、それぞれについて理論的に説明をして実践者(クライアント)の理解と納得を得る必要がある。それにより、クライアントが、みずからの思考や行動を常に内省して、必要に応じて自己修正ができるような省察力を涵養する。
 
3. 「型」を習得するための場所の提供
「型」について理論的に理解をしたあとは、実際にそれを実践できるように訓練(practice)の場所を提供する。具体的には、普段の業務活動場所と離れたところで訓練をするための支援を提供することもあれば、また、普段の業務活動そのものを訓練の場所として再定義して、それを活用するための方法を教授することもあろう。
いずれにしても、ここで重要となるのは、クライアントにたいして「自由に実験や探求してみなさい」と言うことではなく、型の習得につながるような行動や活動ができるような場所を構築するということである。たとえば、テニスでは、「自由にラケットを振ってみなさい」と言うのではなく、注意すべき具体的なポイント明確にして(例:ラケットの握り方・ラケットのスイングの軌道・体重移行の方法)、そのうえで試行錯誤をさせるのである。
 
ところで、巷には、「理論無しで現場に飛び込んで試行錯誤をしたことが最も貴重な経験であった」と言う成功者が数多くいる。こうした発言を耳にして、われわれもつい「理論は心を開いて体験を積むのを阻害することになる」と結論づけてしまうことになる。
しかし、実際には、これは、そうした経験(理論無しで現場に飛び込んで試行錯誤をする)をした多数の人々の中に存在する少数の成功者の意見に注目することに起因するバイアスであるといえる。実際には、そうした経験を将来的な成長のための契機にすることができた人がいると共にそうした経験をとおして失敗したり、挫折したり、停滞したりした人もいるのである。
前者は、そうした状況において、的確に何かを学び取るための方法や素養を有していたわけだが、そうした人は基本的には少数派である。
しかし、後者は、正に理論をもたずに現場に飛び込むことをとおして――己の頭の中でつくりだした誤った理論や解釈に呪縛されてしまう等――マイナスの学習をしているのである。そして、正にそうした人々が大多数を占めているのである。
 
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上記には筆者の解釈も含まれているが、講義の内容は大まかにはこのようなものであった。
人間は経験や体験をとおして学習をして、成長・成熟していくものであるが、その過程においてわれわれがみずからの経験や体験にあたえる解釈は、往々にして、的を外したものになる(“attribution error”)。たとえば、己が参画した企画が成功したとき、人間というものは、しばしば、その要因を己の能力や貢献に求めてしまうものである。こうしたことを続けていると、結果として、われわれは、長年の経験をとおして誤った理論や論理を信じるようになってしまい、それに呪縛されてしまうのである。
その意味では、成人期の成長上の中心的な課題とは、それまえに蓄積した学習の成果を修正(unlearn)するということになる。そして、コーチングとは、そうした学習のサイクルを回すことをその主眼とすべきなのである。
 
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