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“Fake News”

偽ニュース攻撃で自滅する米マスコミ
2016年12月1日 田中 宇

 

田中 宇氏の記事には抵抗を覚えることが多いのだが、今回の記事は非常に的を射たものだと思う。
日本では、いまだに国民の大多数が主流マスコミの報道を鵜呑みにする状況が続いているが、英語圏では、非主流派マスコミ(alternative media)が大きな影響力を持ちはじめており、支配層がもはやそれを放置できない状況が出現している。
高等教育機関等における訓練が比較的に充実しているということもあり、英語圏では体制の外で活動するジャーナリストの能力が高いために、そうした立場から、たしかな情報が提供され、着実に世論に影響をあたえはじめているのである。
今回の動きというのは、体制側が「Fake News」というラベルを張り付けて、そうした報道機関の権威を攻撃しようとするものである。
端的に言えば、そうした情報を信用しないように――あるいは、そもそも頭から排除するように――という心理的な圧力を大衆に掛けるものといえるだろう。
日本に暮らしていると、こうした情報をめぐる戦争が社会規模で展開していることのリアリティというのは実感しにくいが、真実をめぐる争いはここまで熾烈化しているのである。
田中氏は次のように述べる。
「日本では非主流のニュースサイトがない。日本語のネットの有名評論サイトのほとんどが、マスコミと変わらぬプロパガンダ垂れ流しだ。だから日本人はマスコミを軽信するしかなく悲惨に低能だが、米国(など英語圏)にはマスコミを凌駕しうる非主流サイトがけっこうあり、これらを読み続ける人々は、ある程度きちんとした世界観を保持しうる。」
まったくそのとおりである。
実際、これほどまでに日本語の報道が劣悪化している状況下においては、英語圏の報道に直接に触れることができないと、同時代において展開している世界の動向を理解することはまず不可能である。
そう断言できるくらいに日本の状況というのは「悲惨」なのである。
ただ、ここで重要なのは、われわれ日本人が重要な情報に接触できずに視野狭窄しているというのは、必ずしも言語能力の欠如だけに起因しているものではないということである。
むしろ、それ以上に重要なのは、あたえられた情報――及び、それにもとづいて形成された社会間・世界観――にたいして、ある程度の懐疑心をもって接しようとする基本的な態度が圧倒的に脆弱であるということである。
そして、それは、換言すれば、異なる立場の視点に立ち発想することに怠惰であるということにも深く関係している。

いうまでもなく、「情報」というものは人間により造られるものであり、そこには必ず作成者の意図が入り込む。
そして、そうした意図というものは、情報を受容する人間の意識を特定の方向に導こうとする意図と形容できるものといえる(それが善意にもとづいたものであれ、悪意にもとづいたものであれ)。
端的に言えば、われわれはみずからの意識が、この社会で生活しているかぎりは、特定の意図による操作や誘導の対象とされていることを自覚する必要があるのである。
社会には、情報の創造に携わる人間がいて、彼等が特定の意図に立脚してそれを届けてきているという想像力が必要なのである。

戦略というものは、基本的に、消費者という「獲物」を捕獲するために、いかに網を張り巡らせるかという発想で描かれるものである。
そのことは、普段 企業において戦略構築作業に従事している人であれば、熟知しているところだろう。
そして、実はそれとまったく同じ類の思惑が情報の創造と発信において働いているのである。
不思議なことに、今日、これほど多数の人々が企業人・商業人として、そうした「狩り」に従事していながら、実は同時に己が狩りの対象(獲物)として位置づけられていることを見過ごしている。
その意味では、今日、われわれに求められているのは、そうした脅威から自己の意識を防衛する護身術であり、防衛術なのである。
そして、それは自己の意識をどの対象に向けるかという実に根本的な行為に責任をもつことにはじまるのである。

 

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