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岐路に立つインテグラル・コミュニティ

インテグラル・コミュニティにおいては、社会現象を分析するときにしばしばSpiral Dynamics(SD)の枠組を用いるが、これまでにコミュニティが配信してきた数々の分析を俯瞰的に眺めると、正にそうしたアプローチが現実の深刻な誤解や歪曲を生んでいることが明らかになりつつある。
端的に言えば、SDにおいては、「意識の構造」(the structure of consciousness)と「意識の内容」(the contents of consciousness)の違いを峻別しようとする発想が非常に希薄なために、往々にして、表明されている意見や立場の種類のみに着目するようになる。
結果として、それが個人であれ組織であれ、対象の行動論理を大きく見誤ることになるのである。
そもそも、SDは、Integral Institute(I-I)の立ち上げ期に、インテグラル理論を一般向けに簡略化して紹介するために便宜的に活用されたのだが、I-Iの関心が諸概念を「商品化」して包装・普及することに収斂していくなかで、いつの間にかその発想そのものが「便宜的」なものでしかなかったSDの水準にまで引き下げられることになる。
こうして関係者は、そうした過剰なまでに簡略化された発想に安住して、仮の納得感に呪縛されていくことになる。
悪いことに、SDの理論がシンプルなものであればあるほどに、それがもたらしてくれる「理解」は単純明晰なものとなり、関係者に知的な優越感に浸らせてくれることになる。
みずからが依拠する枠組に呪縛されてしまい、それそのものを対象化して超克していくことができないという合理性段階の行動論理に半ば完全に呪縛されているのである。
少なくとも、政治・経済等の集合領域(これらの領域はSDの主な関心領域でもある)に関するインテグラル・コミュニティの発言がこれほどまでに劣化しているのは、過去10年程のあいだに継承されてきた知的怠惰が大きく影響しているのである。

2016年度は、世界的に大きな政変がおきた激動の一年であった。
そうした文脈の中でわれわれはこれまでにみずからが立脚していた価値や前提が大きく誤っていたことに気づかされるような経験をひんぱんに経験している。
特筆すべきは、これまでに展開してきた「グローバル化」といわれるものが、実は必ずしも人類の進化を体現するものではないということにたいするきづきが正に地球規模で生まれているということだろう。
むしろ、それが、実はいかなる土地にも責任をもたない無国籍の資本の論理が、その略奪的(predatory)な獣性を無軌道に発揮して、あらゆるものを捕食していくための制度の急速な拡充のプロセスであったことが認識されたのである。
もちろん、グローバリズムというものが、波のようによせてはかえす現象に過ぎないことは指摘されていたし、また、今回のグローバル化が地球の富を極少数の超富裕層のてもとに集中させることで、地球規模の格差社会を構築するものであることについても、警鐘が鳴らされてきた。
2016年は、そうした声が大衆規模の行動にまとめあげられ、それまでに無防備に礼讃されてきたグローバリズムというものにたいする明確な拒絶として結晶化した年であったのである。
もともと日本の場合には、知識人も大衆も「流行」(buzz words)に流されやすい根深い体質があるために(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/12/21/sato-106/)、いまだにグローバリズム幻想に憑かれている状態にあるが、欧米では、人々がいちはやくそうした夢から醒めはじめているので、いずれはそうした状態から揺さぶり起こされることになるだろう(ただし、日本の場合には、無国籍性のイデオロギーに対抗するための拠所となるべき健全な郷土愛や愛国心が涵養されていないために、内発的な力でこうした幻想状態を脱却するのに苦労する可能性はある)。

こうした状況において、
本来であれば、インテグラル・コミュニティは、たとえばその重要な理論的な柱であるホロン理論にもとづいて、早い段階で、今日のグローバル化が、人類社会の進化ではなく、むしろ、個々の共同体の健全性を溶解することで、最終的には人類社会の全体的な破壊をもたらすことを洞察すべきであった。
しかし、実際には、今日のグローバル化を「世界中心主義」(world-centrism)の発現と錯覚して――また、それに反発する動きを退行的な「排外主義」や「保護主義」と錯覚して――それを無批判に追認してしまった。
その意味では、I-Iを中心としたインテグラル・コミュニティの関係者は完全に時代に取り残されているだけでなく、むしろ、さらに深刻な問題として、みずからの認識の前提そのものを批判的に検証するという統合的であること基本を見失ってしまっている。
いうまでもなく、こうした体質の共同体が辿りつく先は、閉ざされたイデオロギー集団でしかない。

ただし、一方では、Sean HargensやZachary Steinをはじめとする若い世代の研究者や実践者が、I-Iの直接的な影響を離れて、独自の優れた活動を展開しているのも事実である。
将来に向けて、インテグラル・コミュニティが持続的に発展していけるかどうかは、こうした良質な人材をどれだけ育てていけるかに懸かっているように思う。

 

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