<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 告知 インテグラル理論研究会特別編:インテグラル・コミュニケーション 2017年2月26日(日曜日) | main | ケン・ウィルバーの最新インタビュー >>
ジョージ・オーウェルの『1984』

今ジョージ・オーウェル (George Orwell)(1903〜1950)の『1984』が国内外でとても売れているという。
わたしも以前より読んでみたいと思っていたところだったので、その朗読版をMP3で聴いてみた。
小説という体裁は採っているが、実質的には研究書というべき作品のように思われるが、いずれにしても、半世紀以上もまえにこれほど鋭く人類社会の行く末を予言的に描いた作品が存在したということに素直に感嘆した。
随所にすばらしい洞察が散りばめられている。
今回はそれらを書き留めておくことができなかったので、あらためて書籍をとりよせて精読してみたいと思う。

この半世紀もまえの作品が突然に注目を集めている背景には、いうまでもなく、合衆国の大統領にドナルド・トランプが就任したことがある。
ただ、個人的に不思議なのは、このような現象が、バラク・オバマが就任したときには起きなかったことである。
両大統領は共に――微妙に性質が異なるとはいえ――いわゆる“Big Money”(“deep state”)の後押しを受けて、そうした勢力の指示のもとに政策を展開している(c.f., Donald J. Trump and The Deep State by Prof Peter Dale Scott)。
表面的には異なる衣装を纏っているとはいえ、実質はそれほど変わらないのである。
とりわけ、オバマの場合には、公の場におけるその発言が進歩派受けするものに仕立てられていたために、大きな誤解を生んだが、その本質は徹頭徹尾徹その「主人」に尽くすもので、その目的は一貫して世界の富を極少数の寡頭勢力(oligarchy)のてに極度に集中させることであった(c.f., Obama: A Legacy of Ashes)。
大衆はそうした印象操作に実に見事に騙され、これほどまでに政権の悪質性を指摘する分析がWEB上に掲載されても、いまだに状況を把握できずにいる。
「1984」のような著作を読むというのは、まさにこうした表面的な印象操作に呑み込まれることのないように、鍛錬するということである。
自己の意識そのものが操作の対象として位置づけられ、そのための制度や方法が体系的に張り巡らされていることを意識して、その具体的な実情を理解・洞察し、また、そうした状況の中で自己の尊厳を守るための術を見出そうとすることである。
ただ、今回のような流行を眺めていると、結局のところ、この作品も、他の無数の商品のように、単に消費され忘却されていくのだろう……。

『1984』を執筆した当時オーウェルが想像していなかったであろうことは、支配というものは、作品の中にあるような強圧的なものである必要はなく、むしろ、支配されている者達に、みずからが支配されていることを意識させないような巧妙なものとして設計することが可能であるということだろう。
たとえば、現代においては、先進国に住むほとんどの人達は、みずからが半ば完全な自由を謳歌していると思い込んでいる。
しかし、同時に、われわれは、わずか数人の個人が地球の富を占有する窮極的な階層社会に生きている(Just 8 men own same wealth as half the world)(また、こうした調査は、あくまでも調査の対象となりえる人物のみを対象としたものでしかない)。
当然のことながら、そうした少数の人物、及び、関連組織が社会にたいして不当に巨大な影響を及ぼすことになる。
そして、そうした影響のもとに策定される諸々の政策・施策は、あたかも民主的な合意形成のプロセスを経て形成されたものであるかのように思い込まされ、推進されていく。
そうした現実と直視することなく、自由という虚構に浸りつづけることを可能とするのが、今日の支配の本質なのである。
その意味では、この作品にあるような露骨な統制や暴力がないぶん、その事実はより意識化しにくいものといえるだろう。
『1984』は、そうした同時代の意識の統制にたいして意識を向けるための契機をあたえてはくれるが、その洗練された性質を十分に照明してくれるものではないのである。

 

Trackback URL
http://norio001.integraljapan.net/trackback/248
TRACKBACK