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企業という文脈における人間の発達について

発達心理学(具体的には、Harvard Graduate School of EducationのRobert KeganKurt Fischerが提唱するconstructive developmental psychology)について企業関係者と議論をするときにしばしば話題となるのは、「企業という環境に生きる者が、後・慣習的段階(post-conventional stages)に到達することは、却って逆効果をもたらすのではないか……」という問いである。
後・慣習的段階の特徴は、社会で信奉される価値観や世界観を対象化してそれを批判的に検証できることにあるが(「脱構築」)、そうした能力を獲得することは、個人に所与の条件としてあたえられている目的や目標や物語そのものを根本的に問い直すことを可能とするために、結果として、企業人として求められる思考や行動をすることを難しくしてしまうことになるのではないか?
実際、In Over Our Headという著作の中でRobert Keganも述べているように、発達段階が後・慣習的段階に近づくと、多くの人が企業人としての立場を離れて、たとえばフリーランスとしての立場を選択するようなことがあるようである。
特定の組織に所属することを生活の基盤とするのではなく、人生という大きな文脈の中で働くということをとらえなおすようになるなかで、半ば持続的に組織にコミットして、その制度の中で自己を実現していくことの妥当性そのものが疑問視されるようになるのである。
たとえば、その組織において繰りひろげられる昇進競争そのものがひとつの虚構であることが認識されてしまうために、それとの関連において人生を意味づけてしていくことに醒めてしまうのである。
その意味では、確かに後・慣習的段階の認知構造は、企業組織に生きることを難しくする可能性を内包しているといえるだろう。
また、Abraham Maslowが指摘するように、そうした認知構造を確立しながらも、企業組織に生きることを決断している人の場合には、そうした自己の異端性をあからさまにすることなく、慣習的な物語の中に巧みに適応していることだろう。

過去においては、後・慣習的段階というのは、いわゆる「引退」をしたあとに、そうした世俗的な物語を離れて、残された短い時間の中で自己の実存的条件(死)と向き合いながら涵養される意識であった。
しかし、社会的・時代的な理由により、そうした発達段階が人生の晩年を迎えるまえの段階において発現するようになった結果として、そうした状況におかれた人々が、少数者として精神的な苦悩を背負わされるようになっているのである。

このように考えると、成人期の発達の問題とは、発達がもたらす特殊な精神的な苦悩をいかにケアするかという視点をとおしてアプローチされるべきものであるといえるだろう。
残念ながら、国内・国外でも、「認知構造を後・慣習的段階に向けて発達させることにより、職業人としてのパフォーマンスを高めることができる」という物語が独り歩きしているが、実はそれは倒錯したもので、むしろ、われわれが関心を向けるべきは、発達の結果としてもたらされる精神的な苦悩や危機にたいする対策を講じていくことなのではないか……。
 

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