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発達がもたらしてくれるもの……(1)

先日 様々な業界の企業組織で人材育成や組織開発に携わる関係者が集まり食事をした。
近年 にわかに注目を集めているロバート・キーガン(Robert Kegan)の発達理論の話題を中心に会話が進んだのだが、そのなかで、いわゆる「後慣習的段階」(post-conventional stage)に意識の重心が移行していくことで、個人の世界観や価値観にいかなる変化が生まれるのだろうか……という議論になった。
数年前にキーガンの『なぜ人と組織は変われないのか』(Immunity to Change)が日本語に翻訳されたあと、発達理論に興味をもつ人が急激に増えてくれたのは嬉しいのだが、読者の方々と話をしていると、「発達」というものにたいして実にいろいろな勝手な期待や夢や希望を投影していることに気づかされる。
たとえば、発達段階が高くなると、業務遂行能力が非常に高くなるとか、人徳者になるとか、あるいは、「幸福」になれるとか……
もちろん、発達段階の高まりがそうした効果をもたらす場合もあるのだろうが、少なくとも、「発達段階が高くなれば、そうした効果がもたらされる」というような因果論的な主張をするのは、大きな間違いである。
しかし、実際には、例のKeganの書籍を読んで大きな感銘を受けている人達の中には、そうした解釈をしている方々が結構存在するようなのである。
Suzanne R. Kirschner(1996)のThe Religious and Romantic Origins of Psychoanalysis: Individuation and Integration in Post-Freudian Theoryには、心理分析というものが、人間がみずからの「堕落」(the Fall)した存在としての実存的状況を克服しようとする宗教的な衝動を成就するための装置として機能していることが指摘されているが――これは心理学全般にあてはまるのではないだろうか……――発達心理学のモデルを目にすると、われわれは無意識の内にそこに救済に至る道が示されているように思い込んでしまうのである。
しかし、実際に発達心理学の調査・研究に携わる関係者の話に耳を傾けると、このようにわれわれの意識の奥深くに息づいている救済への期待や衝動を発達という概念の上に投影するのは、少々無理があるようである。
とりわけ、今日においては、救済というものが、個人としての「能力」や「財産」を豊かにすること(例:「業務能力が高まること」「生産性が上がること」「稼ぐ能力高まること」)といった現世利益的な価値体系と密接に結びついて解釈されてしまう傾向があるので、結局のところ、発達という概念が企業人としての“performance”が上がることであると理解されてしまう。
しかし、実際には、発達することが、そうした実利的な利益をもたらすことになると結論するのは、あまりにも短絡的であるし、それ以上に、人間の内的な領域の変化・変容を、ある特定の時代・社会(現代の資本主義社会)を支配している特殊な価値観にもとづいて説明してしまおうとするのは、あまりにも傲慢であろう。
厳しい言い方をすれば、そうした発想そのものが、自己の生きる時代や社会を相対化できない認知上の幼稚さを示しているのではないかとさえ言えるだろう。
ただ、こうした誤解が広範囲で起きている背景には、それなりの事情があるのも事実である。
たとえば、上記のRobert Kegan自身も、著書の中で「発達をすれば仕事ができるようになるのです」と断言してしまう等、発達理論にたいする興味を喚起することに躍起になるあまり、読者にたいして安易に甘い夢を売ろうとしてしまっているのである。
結局のところ、こうした状況というのは、本質的には、思想家ケン・ウィルバー(Ken Wilber)が「フラットランド」(flatland)という概念を呈示して指摘したように、数的に計測できるものだけしか価値として認識しようとしない現代という時代の病理そのものを浮き彫りにする端的な事例である。
端的に言えば、「それはわれわれの金を稼ぐ能力の向上に寄与するのか?」という問いにもとづいて、あらゆる概念や洞察の価値が決めてしまう現代の倒錯性が――本来であれば、そうした時代の病理と対峙する精神を涵養するための示唆をもたらしてくれるはずの――皮肉にも、発達という概念にも持ち込まれてしまっているのである。
それでは、いわゆる「後慣習的段階」(post-conventional stage)に意識の重心が移行していくことで、個人の世界観や価値観にはいかなる変化が生まれるのだろうか?

(つづく)

 

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