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著書紹介 : 加藤 洋平著 『成人発達理論による能力の成長:ダイナミックスキル理論の実践的活用法』

著書紹介

 

加藤 洋平著

『成人発達理論による能力の成長:ダイナミックスキル理論の実践的活用法』

(日本能率協会マネジメントセンター)

 

鈴木 規夫

インテグラル・ジャパン代表

 

現在、オランダのフローニンゲン大学で複雑性科学と発達科学を架橋する研究に従事している加藤 洋平さんが、非常に興味深い著書を出版された。今回の著作では、加藤さんはHarvard Graduate School of Educationの研究者として活躍したカート・フィッシャー(Kurt Fischer)のダイナミック・スキル理論(dynamic skill theory)の概要を一般の読者に向けて平易な言葉で紹介している。日本では、まだほとんど認知されていない理論であるが、既に合衆国では研究者と実践者の共同作業をとおして優れた研究成果が生み出されはじめている。加藤さんは、そうした最新の成果の要点を、内容のレベルを落とすことなく、幅ひろい読者層に向けて紹介している。発達という現象に関心をいだく世の人々にたいする真に貴重な貢献といえるだろう。

さて、この理論は、同じHarvard Graduate School of Educationの発達心理学者ロバード・キーガン(Robert Kegan)の構成主義的発達心理学(constructive developmental psychology)の成果を踏まえながら、さらにその限界を批判的にのりこえ、人間の能力が発揮される際に不可避的にあらわれることになる変動性と文脈依存性に関してきめ細かに言及しようとするものである。その意味では、日々の実務・実践の領域においてわれわれが経験することになる諸現象の複雑性を理解し、また、多様な課題に対処していくうえで、キーガンの理論以上に有用性の高いものであるといえるだろう。

本書で紹介されるダイナミック・スキル理論の特徴を簡潔にまとめると、人間の発達を「変動性」「文脈依存性」「発達の網」という3つのアイデアを中心概念として位置づけてとらえようとするものであるといえる。

また、そこには、たとえばロバード・キーガンが「意味構築構造」(meaning making structure)という言葉で示すような個人の「意識」や「人格」の重心といえる構造や段階が存在するのでなく、そのときの課題や状況に応じて異なる能力(「スキル」)が異なるレベルで発揮されるに過ぎないという動的な――そして、ある意味では、あまりにも皮相にも思える――発想が息づいている。その意味では、これまでにロバード・キーガンやケン・ウィルバーの書籍をとおして発達理論に触れてきた読者には、人間の発達というものが、根本的に異なる発想にもとづいてとらえられているので、大きな発想の転換が求められるところもあるだろう。

今後、これらの異なる「思想」に立脚した理論間の対話を心待ちにしたいところであるが、ここでは簡単に上記のダイナミック・スキル理論の中心概念について、少し解説してみたい。

 

変動性

 

変動性とは、人間の能力というものが、常に一定のレベルで発揮されるのではなく、さまざまな条件の影響のもと、異なるレベルで発揮されるものであることを示す概念である。

たとえば、これまでにスポーツにとりくんだ経験のあるひとであれば、人間のパフォーマンスというものが常に上下動していることを経験的に認識している。昨日できたことが今日はできないというようなことは、日常茶飯事である。また、ときには、同じ日の中でも、練習相手や練習環境が変わるだけで、パフォーマンスが大きく変化することもある。

このように、人間の能力とは――少なくとも短期的には――激しく変動をしているものなのである。そのことを軽視・無視して、単純に人間の発達というものをひとつひとつ段階を着実に昇っていくプロセスであるととらえるのは、あまりにも単調な人間観を奨励することにつながるだけでなく、実際の能力開発の現場においては、関係者の認識を歪ませ、その行動を倒錯させることになるだろう(たとえば、パフォーマンスの停滞を発達の過程上の自然な状態のとしてとらえるのではなく、本人の「遣る気」の欠如として解釈することで、指導者が無用な叱責をしてしまうことになる)。

もちろん、「重心」という概念にも、こうした上下動の存在を許容する余地が残されているが、実際には、そうした上下動は例外的な現象として片付けられてしまうため、変動性の中に発達の重要な鍵が隠されていることが蔑ろにされてしまうことになる。

たとえば、長い目で眺めると、短期的な「停滞」や「退行」が能力の開発のプロセスにおいては、重要な役割を担うにもかかわらず――例:そうした状態に転落したところから、あらためて訓練を重ねて、状態を高めることで、能力が強化され安定的に発揮することが可能となる――重心という概念に縛られてしまうと、そうしたイベントを発達を促進する契機として掌握し損なってしまうのである。

そうした意味でも、この変動性を中心概念のひとつとして位置づけて、人間の発達について探求しようとするダイナミック・スキル理論の発想は、しばしば「否定的」なものとして解釈される現象を「肯定的」なものとして再認識するための枠組を提供してくれるのである。

 

文脈依存性

 

上記のように、人間の能力は常に変動しているが、それにとりわけ大きな影響を及ぼすのが、文脈(context)である。文脈とは、その能力を発揮するときに、われわれをとりまいている空間や状況と理解することができるだろう。

たとえば、スポーツ選手であれば、天候や標高、道具や設備、あるいは、監督やコーチ等の関係者の思想や態度をはじめとする、競技に関わる諸条件にパフォーマンスが影響されることを経験していることだろう。集団競技であれば、仲間の状態の微妙な変化によりチームとしてのパフォーマンスが上下動することを経験しているし、また、指導者の指示や指導が的確であるかどうかということが、チームの士気や連携に決定的な影響をもたらしえることを認識している。あるいは、企業人であれば、同じ交渉術を駆使していても、その対話が日本語空間で行われるのか、英語空間で行われるのかにより、パフォーマンスが非常に異なるものになることは、日常的に経験しているはずである。

このように、われわれの能力は常に何等かの文脈の中で発揮されるものであり、その影響を受けて、高いレベルで発揮される(optimal level)こともあれば、低いレベルで発揮される(functional level)こともある。

このため、能力開発においては、文脈を意識的に変えることが非常に重要になる。常に同じ文脈の中で訓練をするだけでなく、たとえば、練習相手を変えてみたり、練習環境を変えてみたり、あるいは、課題の難易度を変えてみたりして、異なる刺激や負荷を自身に課してみることで、多様な文脈に対応できる柔軟、且つ、堅牢な能力の獲得が可能となるのである。

実際、われわれが生きる世界は、「道場」や「教室」と異なり、恒常的に大きく変化している。とりわけ、そうした変化の速度そのものが増しているといわれる この時代においては、われわれの能力は急速に陳腐化する可能性にさらされている。当然のことながら、こうした時代的な条件のもとにおいては、われわれは自己の能力を、固定的な文脈を前提としたものではなく、恒常的に変化する文脈を想定して鍛錬にとりくむ必要が生まれる。即ち、能力開発にとりくむにあたり、われわれは常に文脈の変動というものを現実の本質にあるものとしてとらえて、鍛錬をしていく必要があるのである。そのことを忘れた瞬間、われわれの実践は固定的な世界という虚構を前提とした誤ったものに堕していくことになる。

 

「発達の網」

 

周知のように、「多重知性」(Multiple Intelligences)という言葉がひろく認知されるようになったのは、ハワード・ガードナー(Howard Gardner)の功績によるところが大きい。人間には多様な知性があり、それらはそれぞれ自律的に発達・発揮されるものであるという主張は、特定の知性――及び、それを測定する尺度――にもとづいて人間の成熟度を把握しようとする発想の危険性に警鐘を鳴らした(例:IQを絶対化する発想の危険性)。

しかし、多重知性の研究は、人間が発揮する知性が実に多様にあることを示したものの、それらの知性が相互にどのような関係にあるのかということに関しては――少なくとも筆者の認識している限りでは――それほど突っ込んだ研究はしていない。

巷では、「クロス・トレイニング」という言葉に象徴されるように、複数の異なる領域の訓練に並行的にとりくむことを重視しようとする機運は着実に高まっているが、実際に、領域間にどのような相補的な関係性が成立しているのかということに関する研究はまだそれほど存在していないようである。

ダイナミック・スキル理論の真に重要な貢献のひとつは、正にここにあるといえると思う。即ち、人間の発達というものを本質的に多様な能力が相互に絡みあいながら展開していくプロセスとしてとらえることを可能としているのである。発達とは、自律的に存在する「線」(line)として想起されるべきものではなく、あたかも蜘蛛の巣のように四方八方に伸びる糸が交差して織り上げられる「網」(web)として把握されるべきものなのである。

実際、われわれが日常生活の中で課題に対応するとき、ひとつの能力を発揮して対応するようなことはほとんどない。

たとえば、組織人として、企画に関する社内関係者の承認を得ようとするときに、われわれには、その企画に関係する関係者の意見や要望を想像する能力(視点取得能力)が求められるし、また、その企画の意義や価値、あるいは、それが組織の戦略と整合性をそなえたものであることについて説得力のある説明をする能力(合理的な思考力と主張力)が求められるし、さらには、それが現存資源で現実的に実現できるものであることを的確に計算する能力(計画能力)が求められる。もちろん、実際に関係者と対話をするときに、彼等の情緒的な側面にも配慮をして的確に関係性を築くことも必要とされる(共感力と傾聴力)。くわえて、あらためて言うまでもないが、そもそも説得力のある提案をとりまとめるためには、関連領域に関する豊富な知識や洞察が必要であるし、それらを素材として活用して物語性と整合性のある物語を構築できる必要がある(関連領域に関して土地勘がないときには、たとえどれほど優れた共感力や傾聴力や主張力があっても、責任を果たすことができない)。

このように、実際の日常のほとんどの活動において、われわれは実に多様な能力を統合的に活用しているのである。

こうしたことを考慮すると、われわれの能力とは常に具体的な文脈の中であたえられる具体的な課題にたいして発揮されるのであり、そうした文脈から切り離して人間の能力のひとつひとつについて云々しても、あまり意味はないといえるだろう。むしろ、われわれが必要としているのは、世界に存在する無数の文脈の中で、それぞれの要求に応じて、複数の能力を臨機応変に組み合わせて発揮する人間の動的(dynamic)な生態そのものを解明することなのである。そして、ダイナミック・スキル理論の意図するのは、正にそこにあるのである。

 

 

その革新的な価値にもかかわらず、日本では、これまでダイナミック・スキル理論に関してほとんど紹介されることがなかった。そうした中で、今回、加藤 洋平氏による入門書が出版されたことには、非常に大きな価値がある。また、本書は、単なる入門書ではなく、中級者〜上級者にも読み堪えのある充実した内容になっている。とりわけ、営利・非営利を問わず組織の現場において成人の成長支援にとりくんでいる方々には、ダイナミック・スキル理論の知見は、重要な疑問を解くための貴重な示唆と洞察をもたらしてくれるはずである。

また、各章には、ダイナミック・スキル理論の知見を実際の実践や訓練に活かすための方法が豊富に紹介されている。読者の方々には、それらを日々の現場で活用してみることで、ダイナミック・スキル理論の可能性を御自身の手で確認していただきたいと思う。

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