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発達と「ファシズム」

先日、Harvard Graduate School of Educationのカート・フィッシャー(Kurt Fischer)が提唱するダイナミック・スキル理論(Dynamic Skill Theory)に関する本格的な解説書が日本語ではじめて出版された。

人間の発達に関する研究は日進月歩で進んでいるが、残念ながら、日本では、その豊饒な成果を紹介する書籍がほとんど出版されない。

今回 出版された加藤 洋平さんの著書は、そうした意味でも、非常に価値のあるものだと思う。

実際のところ、先日 発達心理学の関係者とやりとりをしたときに、関連書籍の売り上げがあまり期待できないために、この領域では出版活動が低調であるという話を聞いたが、実際には、内容的に優れた未翻訳の文献が多数あるので、そうしたものが少しでも日本人の目に触れるといいと思う。

 

ただし、今後、発達というものに関して研究が進展していくと、そうした知見をいかに倫理的に利用するかという視点が非常に重要になる。

そうした研究をとおして、個人の能力の開発を支援するための知見が蓄積されていくのは結構なことだが、そもそもいかなる目的のもとに能力の開発をするのかという根本的な問題についてわれわれが真剣に問おうとしなければ、それは容易に悪用されてしまうことになる。

少なくとも、単純に発達することを善としてとらえ、ひたすらに能力開発を推進しようとする発想は、非常に危険なものといえるだろう。

また、ロバート・キーガン(Robert Kegan)が提唱したConstructive Developmental Theoryが人格の発達というものを倫理性の発達と関連づけてとらえようとしたのにたいして、ダイナミック・スキル理論は、ある意味では、人格という概念そのものを解体して、人間を単純な「スキル」の集積としてとらえてしまうことを考慮すると、そうした人間観に立脚して、ひたすら「スキル」の発達を推進するための方法論だけが独り歩きするようになることにわれわれは警戒するべきであろう。

倫理的な問題が完全に蔑ろにされる危険性があるからである。

実際、フィッシャーの共同研究者達が創設したLectica, Incの中心人物として活躍したザッカリー・スタイン(Zachary Stein)の論文やブログを読むと、こうした問いが積極的に投げかけられている。

たとえば、スタインは、今日「レジリエンス」(resilience)というものが重要な能力として注目されて、さまざまな「測定法」や「育成法」が提唱されているが、そもそもそのような能力の鍛錬が必要とされる社会や時代というものが問題であることには、ほとんど批判的な意識が向いていないのではないかと述べている。

そのような能力を必死に高めないと、生きていくことが難しいという社会そのものが健全なのか?――という問い掛けをしないままに、単に求められる能力を高めることに懸命になる「研究者」や「教育者」の姿勢を問うているのである。

そこにあるのは、たとえば思想家のケン・ウィルバー(Ken Wilber)が指摘するように、外的環境に適応することを――そして、たくみに適応することで勝利者になることを――無批判に奨励する深刻な病理である。

代表作『進化の構造』(Sex, Ecology, Spirituality)の中でウィルバーは、こうした発想が人間存在が内包する尊厳(dignity)を破壊することを熾烈な口調で批判しているが(具体的には、ウィルバーは、こうした発想のことを「システムへの従属を強要するファシズム」と形容している)、非常に皮肉なことに、現代においては、そうした発想が、往々にして、人間の成長を促進するという大義のもとに正当化されることだろう。

そこに適応することは果たして人間の尊厳に守ることにつながるのか? という問いを発しないまま、あまりにも無批判に同時代の現実を受容してしまうのである。

もちろん、本来的には、そうした批判精神を発揮しえることこそが、人格的な成熟の重要な証であるべきなのだろうが、実際には、能力というものが、人間の人格そのものからますます切り離されたものとして認識されるようになるなかで、こうした危険性は高まることになるだろう。

街の書店には、「世界のエリートが実践している……」と題された自己啓発系の書籍が無数に並んでいる。

いうまでもなく、ここでいう「エリート」とは現代社会の顕在競争の中で勝利を収めた者達のことであるが、結局のところ、それらの書籍に息づいているのは、そうした勝者のようになるために能力を高めることを人間としての「成長」や「発達」することと同一視する発想なのである。

ウィルバーが批判する「ファシズム」が、最も端的に具現化している事例といえるだろう。

いずれにしても、「発達」という概念は、こうした安易な実利主義と結びつきやすい側面を内包しており、その実用にたずさわる関係者はくれぐれもその誘惑に絡めとられることのないように注意をすべきであろう。

 

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