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東大話法とサイコパス

今、サイコパスに関する心理学書に目を通しているのだが、そこで思い出されたのは、安冨 歩氏の「東大話法」という概念であった。

サイコパシーそのものは心理的な病理であるが、Andrew M Lobaczewskiが「Political Ponerology」の中で述べているように、サイコパス的な人格を持つ人々は、社会や組織の中で権力を握ると、自己のそうした人格に合わせて社会や組織を再構成しようとする。

結果として、いわゆる健常人といわれる人達も、そこに生きていると、自然とサイコパス的な行動をするようになるのである。

最も顕著な事例はナチス・ドイツであろう。極少数の凶悪な指導者の支配下において再構成された社会においては、健常者達も徐々に捕食的な行動論理に呑みこまれていくのである。

そこに生きる個人を否応なしに呑みこんでいくこうした共同体のダイナミクスに関しては、たとえばロバート・ジェイ・リフトン(Robert Jay Lifton)The Nazi Doctors等の書籍の中で詳細に分析をしているが、安冨氏の「東大話法」という概念は、それと同じように、有用な洞察をあたえてくれるように思われるのである。

安冨氏自身は「東大話法」の源にあるものは「立場主義」と主張しているが、個人的には、そこにはそうした言葉ではとらえきれないものがあるように思う。

端的に言えば、そこにあるのは、人間としての「良心」(conscience)を麻痺させることを意図する純粋な「破壊衝動」なのではないだろうかと思うのである。

 

『良心をもたない人たち』(The Sociopath Next Door) の著者・マーサ・スタウト(Martha Stout)が解説するように、人間には良心が実に抜きがたく息づいているが、組織や社会が、その集団的な目的を達成するうえでその存在が邪魔になるというときには、それが健全に働くのを阻害する必要がある。

たとえば、Stoutは、戦場において国家が個人(兵士)に殺人を求めるときには、良心が発動することのないように、「権威」(authority)の影響を用いて対象を心理的に操作する必要があると述べているが、同時に、そのためには、権威的存在が物理的に兵士の近くにいる必要があるという。

この条件が満たされないと、しばしば、兵士は良心を回復して敵兵を殺すことを回避しようとするという。

その意味では、権威の影響というのは比較的に限定的であり、もし組織や社会が個人を持続的に操作しようとするのであれば、個人が半ば主体的に自己の良心を恒常的に阻害・麻痺するように仕向けなければならない。

そのためには、長期にわたる「訓練=調教」が必要となるのだろうが、それが完成されたときにそこに先鋭的に発揮される思考こそが、安冨氏が「東大話法」と形容しているものなのだろう。

それこそが個人に積極的に自己の良心を封殺することを可能とするのである。

その本質は実質的にサイコパスのそれに近似したものだと思うが、ただそれが良心を持つ人々を対象に「開発」されたものであるがゆえに、高い汎用性をそなえている。

「東大話法」という概念の価値とは、今日、多数の健常者の中に密かに侵入している「狂気」を浮き彫りにするものであるところにあるのではないだろうか……

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