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精神の檻

発達心理学者のZachary SteinがBLOGの中で、今日の社会的な危機の中心にあるのは、社会の意思決定の中心にいる高学歴者の能力的な限界であるという指摘をしている(http://www.zakstein.org/mediations-during-an-educational-crisis/)。端的に言えば、彼等が高等教育の中で授けられる訓練そのものが、社会を舵取りしていくうえで、決定的に不十分なものに成り果てているのである。
日本でも、いわゆる「エリート」といわれる人間達が、その精神に深刻な倒錯されて抱え込まされていることが、安冨 歩氏が指摘している。
教育は一歩間違うと「調教」に堕することになるが、今日、世界規模で露呈しているのは、人類の教育が――とりわけ、上層部において――その語源に息づく「解放」(liberate)するものではなく、むしろ、その間逆を推し進めるものに変質しているのである。
実際、優秀といわれる人間であるほど、それまでに蓄積してきた知識や枠組の檻の中に閉じ込められてしまってしまい、それを揺さぶりかねない知識や思想に耳を閉ざしてしまう(あるいは、非常に攻撃的・批判的になる)。
少し戯画化していえば、彼等は非常に熱心な日本経済新聞の愛読者ではあるが、そこに掲載されない情報は「虚偽情報」(“fake news”)としてしか認識されないのである。
自己の認識や思考を支えている前提や基盤そのものを防衛しようとするのではなく、それが往々にして自己の精神を幽閉する檻になることを自覚して、常にそこから自己を解放しようとこころみようとする態度こそが教育がわれわれに授けるべきものなのだろうが、皮肉にも、長年にわたり「高い」レベルの教育を受けてきた人間ほど、それができなくなる傾向があるようである。
人材育成の世界では、こうした批判的な能力を“Double Loop Learning”と形容して、主として企業研修の世界でひろく紹介されているが、ただ、真にDouble Loop Learningを実践するということは、われわれの日々の経済活動を下支えしている諸々の前提や基盤にある価値観等にたいしても批判的になるということである。
その意味では、Double Loop Learningが実践されているとは間違ってもいえないのである(Double Loop Learningについてトレイニングを提供しているインストラクター自身がそれをできていない)。
上記の記事の中でSteinが主張するように、21世紀において求められているのは、これまでとは異なる優秀さであり、また、それを把握するための測りである。
自己の精神の檻から自己を解放するという点においては、人類は概ね劣等性であり、また、とりわけ「エリート」は圧倒的な能力不足である。

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