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成人教育の最前線

今日、成人を対象にして一般的に行われているトレイニングのほとんどは、なんらかの「システム」(例:手法・方法・枠組)を紹介し、その習得を支援するためのものである。
たいていの場合は、そうしたトレイニングで参加者の要望に応えることができるのだが――正にそれゆえに、そうした類のトレイニングがひろく受容されている――まだ比率的には少ないが、それよりもひとつ次元の高いトレイニングが求められはじめていることを実感する。
具体的には、あるひとつのシステムを紹介するのではなく、複数のシステムを組み合わせて統合的に用いることで、参加者の課題や問題を解決するための助けをしようとするものである。
実際のところ、たとえば企業組織の選抜者を対象にしたトレイニング等の優秀な人間を対象とする場合、単にシステムを紹介するだけでは参加者の拒絶を招いてしまうことになる(それは、そこで紹介されるシステムがたとえ複数であろうと同じことで、システムが統合されることによって新たな価値が生みだされないといけないのである)。
結局、彼等は既に自律的に勉強するための高い学習能力をそなえており――また、そのために、日常生活の中で様々な工夫を重ねており――わざわざ集合型のトレイニングに来なくてもいいのである。
端的に言えば、そうした類のトレイニングは非効率的なのである。
発達心理学者ロバート・キーガン(Robert Kegan)の用語を用いて説明するならば、自律的思考力を発揮する第4段階の人間にとって、システムを習得することは独力で可能なことなのである。
それよりも、彼等が求めているのは、ひとつのシステムをあてはめるだけでは把握・解決できない課題や問題に対処するためのスキルを高めることである。
そして、それは、とりもなおさず、複数のシステムを統合的に活用するためのスキルなのである。
そうした能力を有するインストラクターがつくる空間の中で探求をすることで、そうした統合的な思考をするとはどういうことなのかを束の間のあいだ体験することが、そのまま彼等の成長衝動を刺激することになる。
そこで彼等は日常の思考の枠組を超えて質的により高い視野をとおして思考することがどういうことなのかを垣間見るのである。
ただ、今日においては、そうした統合的な意識というものは、生きた指導者の支えを借りなければなかなかあじわえないものであるようだ。
巷に流通する大多数の書籍が合理性段階の執筆者により合理性段階の発想や思考を紹介するために書かれたものであるために、それよりも質的に高いレベルの思考に触れようとすると、どうしてもそれ以外の媒体の刺激に触れることが必要となるのである(また、文章という媒体そのものが直線的に展開するものであるために、合理性段階を超えた発想や思考を示すには少々適さないところがある)。
その意味では、今日において成人を対象にした――とりわけ、優秀な層を対象にした――成長支援施策に必要となるのは、参加者が合理性段階のもうひとつ高い段階の意識を体感できるための仕掛を企画者・運営者がいかに用意することができるかといことになるだろう。
もちろん、そうした空間を構築するのは容易なことではない。
また、一対一のセッションにではそれができても、多人数を相手にしたときにそれができるとも限らない。
実際、日本国内の人材育成業界を見渡したとき、果たして何人のトレイナーがその域に達しているかといえば、極少数ということになるだろう。
しかし、今日の社会情勢を眺めると、非常に烈しい速度で既存の世界観が崩れはじめていることは明らかであり、そうした文脈の中では、合理性段階の思考だけでは全く時代に適応できなくなりはじめていることは議論の余地の無いところであろう。
たとえば、今話題を集めている『東芝 原子力敗戦』(大西 康之著・文藝春秋社)という書籍があるが、そこで示されているのは、日本の優秀な政財官の関係者が悉く破綻した虚構の中に埋没し、皮肉にも、卓越した合理的思考力を発揮して着実に、そして、主体的に破滅に向けて突き進んでいる悲劇である。
あまりにも典型的な事例ではあるが、合理性段階の知性は、「利権」と「保身」と「同調圧力」の下では、自己の思考が立脚する「現実」が実は虚構であるかもしれないことに意識を向けることができなくなってしまうのである。
ここに描かれている「敗戦」は、ひとえに日本のエリート層の精神の貧困に起因するものである。そして、こうした敗戦は社会のあらゆるところで発生している。
それは、合理性段階を超える知性を社会の中に全く生み出しえていないことに大きく関わっている。
いわば、「進化」することに失敗していることの直接的な結果なのである。
統合的思考をする能力(ロバート・キーガンの発達理論における第5段階にあたる)を社会の重要な意思決定にたずさわる人々の中に涵養するという点においては、今日、日本は世界でも悲劇的なまでに立ち遅れている。
そして、そうした状況を打開する兆しは全くみえない状況である。
少なくともしばらくのあいだは日本の地盤沈下は止まることなく着実に深刻化していくことだろう。
巷では、「教育改革」の必要性が叫ばれているが、実はそうした声をあげている大人達が、時代の要請を受けて成長・変化していくことができないという、いわば「発達障害」的な状態に集合規模で陥っていることは、ほとんど指摘されない。
われわれが今真に為すべきは、破綻と破滅を次世代に継承しようとしている大人達にたいする教育的支援を強化することなのではないだろうか……。

 

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