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第16回東京音楽コンクールを聴いて

 

8月27日
東京文化会館で東京音楽コンクール声楽部門の本選を聴いてきた。普段は、宗教音楽を少し聴くだけで、ほとんど声楽を聴かないので、実のところ詳しいことはわからないのだが、今宵も実に贅沢なひとときを過ごすことができた。
最後に登場したZarina Altynbayevaさんが歌いだすと会場の雰囲気が一変し、一曲目が終わると聴衆は凄い声援を送った。いったん舞台裏に帰った歌手が二曲目を歌うために舞台にもどるときの雰囲気は完全にスターを迎えるときのよう。その瞬間、そこがコンクールであることを忘れさせるような空気が会場を覆った。昨年の弦楽部門で最後に演奏した荒井 里桜さんが演奏したときの雰囲気を思い出させた。
4人の日本人歌手も健闘していたし、また、技術的には優れていたが、Altynbayevaさんの演奏を聴かされると、そもそも「舞台に昇り聴衆を前にして歌うということ」そのものにたいする姿勢や発想が質的に違っているのではないか……? という感想を抱かされた。端的に言えば、あるマスター・クラスでマリオ・ブルネロが述べていたように、「教室で先生に百点をもらうための演奏をするのか、あるいは、舞台上で聴衆の魂を震わせるために演奏をするのか」という「選択」をしないままに演奏をしているのではないか……という疑問を覚えたのである。
これは「上手・下手」の問題ではなく、演奏をするということにたいするコンセプトの問題である。そして、実のところ、そうしたことは、最も難しい問題であるようで、実は「素人」である聴衆に最も率直に伝わることなのである。
今日の演奏会は、そんなことをあらためて考えさせられる演奏会だった。
ところで、いつものことだが、伴奏を務める在京のオーケストラの献身的な演奏には感服する。こういう仕事をあれほど見事なプロ精神でとりくむ姿そのものがひとつの貴重なメッセージだと思う。それは、音楽にたいする非常に誠実さのあらわれであり、また、自己の才能を惜しげもなく投じて、次世代の成長と活躍を応援しようという純粋な愛の表現である。今日の東京交響楽団と現田 茂夫氏の実に丁寧な演奏には心底感服した。

 

8月29日
東京文化会館で東京音楽コンクール弦楽部門の本選を聴いてきた。4人のソリストが登場したが、軒並レベルが高い。いわゆる「学生の演奏」ではなく、既に数々の舞台を経験してきた立派な表現者の演奏で、日本フィルハーモニー(指揮は大井 剛史氏)の厚みのある立派な伴奏に助けられて、実に贅沢な演奏会となった。
前半はチャイコフスキーのVn協奏曲が続いた。北田 千尋さんの演奏は、冒頭からコクのある素晴らし響きで思わず身を乗り出したが、ただ、曲の全ての要素を想いをこめて弾いてしまうために、しばらくすると一本調子に聴こえてしまう。また、曲が前に前進しない感覚がつきまとい、聴衆としては集中力が持続しない。
それにくらべると高木 凜々子さんは、曲の全体を視野に収めており、今日の演奏では、どこに光をあて、どこを捨てるのかという取捨選択の判断ができている。そのために、ここぞというときの美しさが聴衆の心を打つのである。また、舞台上の身体的な動作も曲の本質を実に的確に体現したもので、「流石!!」と感心してしまった。
後半の第1演奏者としてバルトークを弾いた有冨 那々子さんの演奏も見事だと思ったが、正直なところ、個人的にあまりこの曲に魅力を覚えないために、最後まで五里霧中の感覚が残った。また、もう少しヴィオラならではの苦味のようなものが聴きたいとも思った。
そして、最終奏者として登場した関 朋岳さんのシベリウスのVn協奏曲には非常に感動した。常に啜り泣くような独特の音色を武器にして、一瞬にして聴衆の心を鷲掴みにした。ところどころ事故が生じたし、また、オーケストラとの呼吸がズレたように思われたが、そういうことを全くものともせずに、シベリウスの本質に肉迫しながら、正にこれまでに聴いたことがないような関さんならではの表現をした。
個人的にとりわけ共感したのは、今日登場した他の演奏者が基本的に常識の枠組の中で表現をしていたのにたいして、関さんはその枠組をこえて、批判や嘲笑を浴びることも厭わずに、自己を曝けだすことを決意していることだ。聴く人によっては、その演奏は大道芸人的な下品な演奏と揶揄するかもしれないが、そうしたことを承知のうえで、表現者としての自己の特性(個性)にたいして徹底して素直であろうとしているように思われるのである。その志が演奏をとおしてこちらに伝わってきた。
くわえて、弱音がひどく魅惑的でどれほど小さな音でもあの東京文化会館の大ホールの隅々にまで明瞭に届いてくるのは驚異的である。
未完成の才能だが、素晴らしい潜在性を秘めた逸材だと思う。
ちなみに、大井 剛史氏の指揮する日本フィルハーモニーの伴奏が非常に充実していたことを付記しておきたい。ソリストの力もあるのだろうが、特にシベリウスの伴奏は、これまでに生で聴くことができた同曲の演奏の中でも最高の演奏のひとつだと思った。いずれにしても、こうしたコンクールでみる日本のプロのオーケストラの誠実な仕事にはいつものことながら心底感動させられる。

 

8月31日
東京文化会館で東京音楽コンクール金管部門の本選を聴いてきた。声楽部門・弦楽部門とくらべると聴衆の数が少なく、何とも残念な気がしたが、内容そのものは充実しており、個人的にも勉強をさせてもらった。
先ず感じたのは、金管部門の場合、異なる楽器を演奏する奏者を比較することの難しさだ。そもそも楽器そのものがもつ「操作性」や「訴求力」が大きく異なるし、また、課題曲そのものの魅力も大きく異なる。
少なくとも、今回、第1奏者として登場した北畠 真司さん(テューバ)の演奏(Koetsier: Tuba Concertino)を聴いときと第2奏者の鶴田 麻記さん(トランペット)の演奏(Desenclos: Incantation, threne et danse)を聴いたときでは、楽器と作品の訴求力があまりにも異なるので、両者を比較することそのものが不可能なのではという感想を抱いた。端的に言うと、こうして比較されてしまうと、テューバ奏者に勝ち目は無いのではないかと思われたのである。
ただ、第3奏者として登場した高瀬 新太郎さん(トロンボーン)の演奏(Tomasi: Trombone Concerto)を聴いたところでは、少なくともトロンボーンに関してはじゅうぶんにトランペット奏者と競えるだけの条件が整えられていたと思った。
ともあれ、この演奏会では、東京藝術大学の3人の演奏が非常に高い水準で突出していた。
個人的には、鶴田さんと高瀬さんを同列首位にしたいところだったが、結果としては、第3奏者の三村 梨紗さん(トランペット)が優秀した。
北畠さんは課題曲のつまらなさに脚をひっぱられたと思う。また、GlierのHorn Concertoを演奏した阿部 華苗さんは、まだまだこれからで、技術的な意味で課題が多い印象をあたえられた(オーケストラの伴奏でソロを吹くには、音色・音量の両面で必要なレベルに達していないと思った)。作品が魅力的であるがゆえに、それをもっと味あわせてほしいという欲求を聴衆に感じさせてしまったのである。

 
ところで、DesenclosのIncantation, threne et danseとTomasi: Trombone ConcertoとGlierのHorn Concertoはなかなか魅力的な作品だと思った。あまり演奏会の演目としてとりあげられることはないが、こういう作品を聴けるのも、こうした演奏会の魅力である。
新日本フィルハーモニー(指揮:梅田 俊明)の伴奏も実に丁寧であり、また、この団体の魅力である繊細さが横溢していた。個人的には、在京オーケストラの中では最も状態がいいと思っている。

尚、1週間のあいだに、3つの異なるオーケストラの伴奏演奏を聴いて、あらためて各団体の個性に気づかされた。東京交響楽団は、外向的な性格が強く、大らかな音響をつくる。日本フィルハーモニーは、少し粗さを感じさせるところがあったが、いい意味で重心が低く、シベリウスの演奏をしているときにも、音が大地と結びついている印象。そして、新日本フィルハーモニーは、最も肌理の細かい繊細な音を奏でるオーケストラ。乱暴に触れると毀れてしまうのではないか……と心配させるような微妙なバランスの上に成立している音のように思われるが、これは今の上岡体制の特筆すべき偉業といえるだろう。

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