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「メタ」の濫用について

Harvard Graduate School of EducationでKurt FischerのもとでまなんだZachary Steinの論考は常に刺激溢れる洞察に富んでいる。

先日、blogで発表された下記の論考も面白いものだ。

 

Be Careful “Going Meta”—Metapolitical Practice (II)
http://www.zakstein.org/be-careful-going-meta-metapolitical-practice-ii/

 

近年、日本においても「メタ」という言葉が用いられるようになり(例:「メタ認知」)、とりわけ教育の領域においては、いわゆるメタ的な視座を涵養することを重要な目標のひとつとして位置づけているようである。
このように、基本的には「メタ」な発想をすることはいいことであると信じられているのだが、興味深いことに。ここでSteinはいわゆる「メタ」な視点を議論に持ち込むことに、われわれは慎重であるべきであると述べている。
即ち、「メタ」な視点を濫用すると、議論をするために必要となる前提条件そのものをひたすらに溶解させる危険性が生まれることになるのである。
また、同じように、それは論点を掏り替えための技術にもなる。
あいてが論点として設定していることを誠実にとりあうことを拒絶したいとき、この「メタ」な視点は便利な道具となるのである。

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