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2018年総括(2)

インテグラル・コミュニティに関して言えば、個人的には、あたらしい世代が着実に台頭していることが確認できた画期的な年であった。
即ち、ケン・ウィルバー(Ken Wilber)を中心とする第1世代の思考の枠組を根本的に超克する思考をする次世代の研究者・実践者が登場して着実に存在感を示しはじめたのである。
そして、非常に皮肉なことに、彼等に共通するのは、ウィルバーの主催するIntegral Lifeと距離を保ち活動を展開しているということである。
中でも、Sean HargensとZachary Stein(共に40代半ば)の存在は突出している。
Seanに関しては、ここしばらくのあいだMetaIntegral FoundationのCEOとして運営する傍ら、John F. Kennedy Universityをはじめとする大学院で教鞭をとりながら、非常に実直な研究活動を展開してきていたようだが、ここにきて、あらたな領域に画期的な探求をはじめようとしているようである
今後が非常にたのしみである。
しかし、ここでその才能を是非とも紹介したいのが、Zachary Steinである。
Harvard Graduate School of EducationにおいてKurt Fischer・Theo Dawson・Robert Kegan・Howard Gardner等の発達心理学者のもとで研究をして博士号を取得したあと、現在は独立系の研究者として主に教育学に関する研究を続けているが、Blogで発表されるその論考では、非常に多岐にわたる話題をとりあげ、深い洞察に満ちた意見を発表している。
そこで一貫して表明されているのは、人間の発達や成長に関わる知識や技術を安易に実利的に利用しようとする態度にたいする批判精神である。
たとえば、今日、巷では「リジリアンス」(精神的な耐久力・回復力)の重要性が叫ばれ、そうした能力を鍛錬する方法やその発達度合を測定する方法にたいする興味・関心が高まっているが、そもそもそのような能力を高めなければ生きていけない社会というのは深刻な病を抱え込んだ社会ではないのか……? という最も重要な問いが発せされることはない――とSteinは指摘する(http://www.zakstein.org/on-resilience-and-the-other-not-so-useful-fictions-of-educational-psychology/)。
誰もが「成功」の可能性を少しでも高めようとしてそれを自己の内に涵養することに必死だが、そもそもそのようなことに情熱を燃やして日々努力をしている自己の姿そのものを冷静に眺めて、そのことの異常性と倒錯性について内省することはしない。
それが「あたりまえ」のことだと信じ込んでいるからである。
そこには、そのような努力をすることを脅迫的に奨励する現代社会の病理に関して思いを馳せる俯瞰的な視座と精神は無いのである。
端的に言えば、同時代に存在する生活環境を所与のものとしてとらえ、そこに適応することを優先するのである(尚、Sex, Ecology, Spiritualityの中でKen Wilberは、こうした発想をLower Right Quadrantの価値観を絶対化する「適応主義」であると述べて批判をしている)。
また、こうした批判精神は、「高次」(高いこと・深いこと)を半ば無条件に美化して、そこに至ろうとする純朴な態度にも向けられ――これはインテグラル・コミュニティをはじめとしてひろく蔓延するものであるが――実際には
「高次」の発達段階に立脚した思考が必ずしも「生産性」の向上をもたらすものではないことを指摘する。
むしろ、それは、少なくともこの時代を生きるうえでは、過剰なまでに広い・深い範囲の現実に意識を開いてしまうことで、意思決定を難しくしまうことになるし、また――これはSusanne Cook-Greuterもしばしば指摘するところであるが――同時代の中で共有されている「現実」との精神的な乖離を生じさせ、実存的な孤独感をもたらすことにもなる。
高次の発達段階を得れば「成功」や「幸福」がもたらされるのであり、その目標を実現するために、効果的・効率的な訓練にとりくもうとする純朴な発想――これは発達理論に惹かれる人々がしばしば陥る錯覚だが――そのものが、実は、慣習的なものとして今日ひろく共有される直線的思考を体現しているのである。
HP内に掲載されている多数の非常に興味深い論文のひとつには、John F. Kennedy Universityでインテグラル理論を専攻している大学院生を対象にして、その理解度を発達論的に測定した結果をまとめているものがあるが
http://www.zakstein.org/wp-content/uploads/2014/10/2010_0718JFKUreport.pdf)、その研究が示唆するように、「高度」な思想や学問に興味を寄せていることは、必ずしもその人物が高度の認知構造を有していることを保証するものではないのである。
1990年代の後半、ウィルバーは、Integral Instituteの立ち上げに奔走したが、その際、Don BeckとChristopher Cowanの提唱するSpiral Dynamicsの影響を受け、自身のモデルを簡略化すると共に意識の発達段階を色分けして、一般向けに「布教」と「販売」を熱心にはじめた。
しかし、その結果として、インテグラル理論は「成功」や「勝利」を得るための方法に変わり、「成長」や「発達」はそうした文脈の中で理解されるようになった。
また、こうした「商法」を採用した結果、インテグラル・コミュニティは実質的に同時代にたいする批判精神を鈍化させ――商売を目的とした瞬間、同時代の社会制度にたいする深層的な批判は控えることにならざるをえない――その社会分析は非常に凡庸なものに劣化した。
たとえば、ここ数年のあいだ、政治の領域においては、いわゆる“deep politics”に関する洞察が常識となりつつあるが、インテグラル・コミュニティの関係者の中には、そうした観点は全く存在していない。
Jeff Solzmanの主催するThe Daily Evolverが配信するpodcastに端的にあらわれているが、現在のインテグラル・コミュニティにおいては、人物・組織・発言等の対象物を単に色で識別することが、「政治的分析」をすることになってしまっている。
こうした点においても、Steinの貢献は非常に大きなものである。
即ち、政治に関して探求をするときに、これまでに前提とされてきた世界観が根本的なレベルで溶解していることを踏まえ、そのうえで統合的な思考をするとはどういうことかについて語ろうとしているのである(http://www.zakstein.org/metapolitical-practice/)。
日本においては、基本的には、前提を共有していない言説は「陰謀論」として排除されてしまうので、そうした認識上の隔たりはあまり顕在化していないが、英語圏ではそうした同調圧力にもとづいた情報統制が効かなくなりはじめているために、人々の立脚する世界観が非常に多様化しはじめている。
そうした時代的な文脈の中では、こうした言説の価値は実に大きなものだと思う。
これまでは、たとえば、ウィルバーが主張しているような、合衆国の「民主党」(Democrat)と「共和党」(Republican)の視点を統合すれば、統合的な政治が生まれるというような単純な発想が「統合的」な発想として評価されたが、近年においては、そのような発想は余程の情報弱者にたいしてしか説得力を持ち得なくなっている。
そうした意味においても、Steinの活動の価値は大きなものだといえる。
あらためて振り返ると、確かに、その著作活動をとおして、ウィルバーも政治に関心を払い著書の中で言及をしてきたが、それは常にdeep politicsにたいする無知に特徴づけられてきた。
そして、こうした視野狭窄はウィルバーの思想そのものを蝕む影となり、今日に至るまで、同時代の集合的な状況に関するその洞察をほとんど無価値なものに留めてきたように思う。
また、その影響を受けてか、インテグラル・コミュニティに集う人達も、そうした影を自己の中で再生産して、同時代の状況について議論をするときには、ただひたすらに色識別の遊戯に淫してきたように思う。
しかし、ここにきて、遅きに失した感はあるが、そうした状況を打開する言説がインテグラル・コミュニティの関係者から生まれはじめている。
世界の支配構造の地殻変動が現在進行形で展開する中、もちろんそれはひとつのサンプルでしかないのは承知であるが――また、そこにもStein独自のバイアスが色濃くあるのも事実であるが――advanced systems thinkingの枠組に立脚した言説や洞察に触れることができるというのは、個人的には、実に嬉しいことである。

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