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2018年総括(4)

これからの時代を生きていくうえで、とりわけ重要な能力(スキル)をあげるとすれば、ひとつはDynamic Skill Theoryの中でadvanced systems thinkingの特徴として説明されている構造を見抜く能力であるといえる。
即ち、自己を「マトリクス」の中に囚われた存在として認識する能力である。
自律的な判断にもとづいて選択し、自律的な意志にもとづいてとりくんでいる活動でさえもが、実際には、ある構造(世界観・価値観)の中であたえられたものに過ぎない可能性を省察する能力である。
換言すれば、たとえば、ある課題や問題と直面するときに、そもそもそれがなぜ課題や問題として認識されているのか? ということについて問い、その構造そのものに批判的な眼差を向ける能力であるといえるだろう。
現代社会を支えるAdvanced Linear Thinkingの発想は、発達理論をふくめ、対象物をあたえられた物語(世界観)の中で設定した自己の目的を実現するための道具として利用することしかできない。
もしそれが期待したほど効果を発揮しないことが理解できれば、すぐにそれを見限り、次の流行の道具に意識を向けていくのが、その習性であろう。
しかし、そこでは、そもそもなぜ自身が追及している目的そのものを根源的な意味で見詰めなおそうとはしないし、また、それがそもそも人生を投じるほどに意味のあるものとして信じられている理由を探求しようともしない。
「なぜそういう問いかけをしないのか?」と尋ねれば、彼等は「それが何の特になるのか?」と答えるだけだろう。
Susanne Cook-Greuterと会話をしたときに、彼女は「認知的な発達は必ずしも幸福をもたらすとは限らない」と明言していた。
また、今回、Lectica, inc.,のオンライン・トレイニングを受けたときに、インストラクターは、「認知的な発達が実務的な生産性を高めることを示す証拠はないし、むしろ、認知の複雑化は、往々にして、過剰な視点や情報をもたすことにより、混乱や混沌をもたらし、また、実務能力を落とすことにもなりかねない」と述べていた。
端的に言えば、少なくとも現代社会において、Advanced Systems Thinkingを体得することには実利的な利益は望めない。
むしろ、それは生きにくさをもたらすことになるだろう。
しかし、そうした生きにくさを積極的に甘受する人間が輩出されることなしには、状況が好転することはないのである。

そして、もうひとつの重要な能力(スキル)はいわゆる「サイコパス」にたいする感性を涵養することである。
東欧の心理学者のAndrew M. LobaczewskiによるPolitical Ponerology: A Science on the Nature of Evil Adjusted for Political Purposes (2007) という興味深い書籍があることを知ったのは、昨年のことである( http://www.ponerology.com/ )。
著者のLobaczewskiは、ポーランドの心理学者で、東西冷戦時代には母国でサイコパスの研究をしていたという。
その結果、共産党独裁政権において、支配体制の中枢がサイコパスにより占められていたことに気づき、その洞察をもとにして、西側に移住後、その政権の形態如何に拘らず、国家というものが半ば本質的にサイコパスにより掌握される特性を内包していることを訴えた。
端的に言えば、政治という現象について検討をするときに、われわれは自己の社会の支配構造が既にサイコパスにより掌握されているという前提にもとづいて思考をする必要があるということなのである。
残念ながら、文章そのものは非常に読みにくいのだが、解説者による音声解説等が多数存在しており、それに耳を傾けると、Lobaczewskiが云わんとしたことがきわめて高い価値を有していることは明瞭である。
The Sociopath Next Doorの著者として有名なマーサ・スタウト(Martha Stout)は、「サイコパス」という現象は本質的に非常に理解しにくい性質を帯びているという。
即ち、一般の人々にとり、良心というものはあまりにも確かなものであり、それを持たないものが同じ人間の中に存在するとは信じられないのである。
そのために、人々は「サイコパス」の存在を概念としては知っていても、この世界にそうした人物が存在すると真に思うことができないのである。
また、今日、巷に流通する進歩的な価値観は、人間を性善説的に理解するよう人々を誘導し、そうした純粋な悪が世界に存在することにたいして意識を塞ぐことになる。
サイコパスが最も怖れるのは自己の本性が露わにされることであるとスタウトは指摘するが、今日の進歩的な価値観を信奉する社会は、彼等が自己の存在を隠匿するための絶好の条件を提供しているといえるのである。
Lobaczewskiは、ポーランドでは、自己の本性が暴かれるのを恐れた支配層によりこうした領域の研究は長いあいだ取り締まられたと述懐しているが、西側の民主主義社会においては、人々はそうした弾圧とは異なる影響を受けて盲目化されているのである。
また、サイコパスの影響下にある社会においては、一般の人々もサイコパス的な特性を習得するように誘導されていくことにある(このあたりのことについては、たとえばRobert Jay Lifton等の犯罪心理学の研究書を参照していただきたい)。
とりわけ、適応力が高い「優秀」な人々に関しては――今日においては、状況を倫理的に判断するよりも、勝利や生存のために最も俊敏に状況に適応できることが優秀であることの証とされる――こうした影響にたいする感受性(susceptibility)は非常に高いといえる。
そうであればこそ、安冨 歩氏が「東大話法」という概念を示して主張するように、最高学府の在籍者ほど――ある意味では、彼等は受験というゲームに最も俊敏に適応した「勝利者」であり「成功者」である――そうした傾向を特徴的に示すのである。
少々コスモロジカルな言い方にはなるが、もしわれわれの生きる時代そのものが、いわゆるサイコパスの特性に象徴されるこうした悪魔的なダイナミクスの包括的な影響下で形作られているとすれば、そのことに無意識でありつづけることは自殺行為であるといえる。
Advanced Systems Thinkingとは決して社会的な構造にのみ意識を向けるわけではない。
コスモロジーの視点に立って、この時代がいかなる時代であるのかということを問うことも、その紛うことなき実践といえるのである。

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