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新日本フィルハーモニー:第600回定期演奏会@サントリー・ホール

 

新日本フィルハーモニーのオール・コープランド・プログラム@サントリー・ホール。
素晴らしい演奏会だった。
客の入りは50%程度だが、たぶんこれらの曲を聴きたくて来ているのだろう、演奏中の集中力も高く、演奏後には熱烈な拍手を送っていた。
斯く言う自分もそうで、今期の定期会員権を買おうかどうか逡巡したときに、このオール・コープランド・プログラムが含まれているのは大きな要素だった。
舞台近くで聴いたのだが、それにしても、凄い音量だ。
そして、それが少しも粗くならずに、常に気品を湛えているのは新日本フィルならではである。「市民のためのファンファーレ」(Fanfare for the Common Man)の冒頭の打楽器の一撃に目の覚めるような衝撃を受けたが、それに続く金管の合奏にも――確かに、所々に小さな綻びがあり、それが勿体無かったとはいえ――この作品に息づく純朴に高貴な精神を力靭く表現しており、素直に感動した。
このあとに演奏されたクラリネット協奏曲(Clarinet Concerto)も素敵な作品で、重松 希巳江氏のソロも絶品だった。
この作品は、コンクールの木管部門の本選では定番の作品で、これまでに何度も耳にしているが、流石にこの日の演奏は芸術表現としてそれらの演奏を完全に凌駕していた。
特に第1楽章は、あのモーツァルトの傑作を少し想起させるほどに美しい音楽で、聴きながら、何気ない日常の中にある静かな至福感に包まれる思いがする。
また、そこには、われわれが想起するところの「古き善きアメリカ」にある、あの豊かな自然を背景にして営まれる人々の暮らしが感得され、そして、そこに息づく長閑な幸福感が迫ってくる。
指揮のヒュー・ウルフは(Hugh Wolff)、日本では主にCDで知られているが、強い個性は感じさせないものの、少なくとも今日とりあげられた作品に関しては、十二分の仕事をしていたと思う。
それは、決して陰鬱に内向することのないコープランドの音楽の「楽天性」をありのままに聴き手に届けてくれるものだった。
たとえば、後半の交響曲第3番の中間楽章では、作曲家はときに深く内省をしようとするのだが、しばしばらくすると、それに耐えきれず、微笑を浮かべて踊りだしてしまう。
自分とは全く異質の感性ではあるが、その異質性が何とも面白く、また、ウルフの演出はそんな音楽の特性を、捻くれた聴衆にたいしても、不思議な説得力をもって届けてくれた。
オーケストラも徐々に調子を上げてきて、交響曲の終結部では巨大な音響を生み出し贅沢な耳の御馳走を提供してくれた。
先日のマルク・アルブレヒトの小粒なブルックナーを聴いたときには、あまりにも音量が小さいので愕然としたのだが――小型の家庭用機器程の音量も出ていないとさえ思われた――そのときの不満を一気に吹き飛ばしてくれた。

 

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