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グロテスクであるからこそ……

図書館で蓮實 重彦の『映画はいかにして死ぬか』という本を借りてパラパラと眺めているのだが、その独善振りが何とも刺激的だ。
「評論家とは結局のところ作品を語りながら自己そのものを語っているのだ」とはしばしば言われるところであるが、正にそのとおりで、評論家の価値とは、作品を語ることの中に浮かび上がるその人そのものが興味を掻き立てるか否かに依存しているのである。
特に蓮實 重彦の場合、途轍もなく自我肥大していて、その様は正に「化け物」と形容できるほどのものであるが、そのグロテスクさが商品価値になっているように思う。
こういう批評家の文章は酷い腐臭が漂うので読むのに苦労をするし、また、全く参考にならないことも多いのだが、時として、そのあまりの独善的な眼差しをとおして対象の真実が浮き彫りにされることがあるのも事実である。
巷には多数の「批評家」が存在するが、実際には解説者に成り果てていることが多い。
また、批評家の衣装を纏いながら、実のところ、商品の宣伝をすることをその主たる役割とした宣伝者になっていることも多い。
個人的には、こうしたグロテスクな批評家がもっともっと存在していてほしいと思う。
そうであるからこそすくいあげることのできる真実というものがあるのである。

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