<< May 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 「インテグラル理論・トランスパーソナル理論」連続講座の御案内 | main | Zachary SteinのEducation in a Time Between Worlds >>
セバスティアン・ヴァイグレの読売日本交響楽団第10代常任指揮者就任披露演奏会を聴いて

5月14日にサントリー・ホールでセバスティアン・ヴァイグレ(Sebastian Weigle)& 読売日本交響楽団の演奏会を聴いてきた。
第10代常任指揮者に就任したこの指揮者の就任披露演奏会である。
前半はヘンツェ「7つのボレロ」であるが、あまりの曲のつまらなさに20分程の短い演奏時間にもかかわらず完全に退屈してしまった。
サイモン・ラトルをはじめとして、有名識者がこの作曲家の作品を録音しているが、個人的には、この日の演奏を聴いて、この作曲家がいかに過剰評価されているかということだけを実感した。
ある意味では――作曲は没してはいるが――今はまだ作品が一般聴衆に紹介されている時期なのではあろうが、将来、こうした作品が演奏会で頻繁にとりあげられるようになり、聴衆が熱心に耳を傾けて心や魂の潤いを得ることになるとは到底思えないのである。
そうした意味では、まずこの重要な演奏会の冒頭にこうした作品をとりあげたヴァイグレの選曲センスを疑ってしまった。
そして、後半のブルックナーの交響曲第9番だが、この作曲家を特徴付ける箴言が全く聞こえてこない。
読売日本交響楽団の献身と高度な機能性もあり、見事な音響が鳴り響くのだが、それを超えて届いてくるものがまるでないのである。
また、指揮者の動作そのものからも芸術性がまるで感じられない。
たとえば上岡 敏之の指揮振りが音楽の意味そのものを高い純度で体現したものであるのと異なり、悪い意味で「合理的」なものであるように思える。
そこには表現することにたいする気迫や執念のようなものが全く看てとれないのだ。
技術的にはほぼ完璧な演奏を聴いているのに、これほどまでに全く心が動かされないというのは久しぶりだ。
ブルックナーの交響曲を知悉している読売日本交響楽団の演奏が非常に見事なものであるがゆえに、皮肉にも、指揮者の芸術性の貧弱性がひときわ際立つのである。
このような指揮者を常任指揮者に迎えて、このオーケストラは大丈夫なのか……? と心配してしまう。
もしこういう類いの演奏をこれから聞かせられるのだとすると少々恐くなるほどだ。
こうした心配がいい意味で裏切られるといいのだが……。
いずれにしても、この指揮者は、日本人が期待する古い「ドイツの精神」の持ち主というよりは、むしろ、近代の合理主義的な精神の持ち主という方が正確だと思う。
報道記事のほとんどは、ヴァイグレのことをドイツの精神を継承する指揮者として宣伝しているようだが、それは大きな誤解を生むものといえるだろう。
先日の第587回定期演奏会でオラリー・エルツが指揮するシベリウスの演奏を聴いて、読売日本交響楽団の状態が非常にいいことに驚嘆したのだが(それは前任者のシルヴァン・カンブルランの大きな遺産であろう)、あらたな常任指揮者のもとでそうした美質が失われないことを切に祈る。

 

Trackback URL
http://norio001.integraljapan.net/trackback/317
TRACKBACK