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発達は人間を「善く」するのか?

Zachary Steinの新著Education in a Time between worldsの「Introduction」に「The Growth-to-Goodness Assumptions」という非常に重要な文章がある。
簡単に言うと、これは高次の階を確発達段立することは人間を「善く」するという物語を信奉する発想のことで、現在、発達理論がひろく紹介される中で――理論の消費者だけでなく、その研究者や提唱者も含めて――ほとんどの関係者がこうした発想に呪縛されている。
こうした状況にたいしてSteinは批判をくわえるが、その主なポイントは下記のようなものである。

 

・いわゆる「高次」の発達段階を体現する個人の数があまりにも少ないために、本格的な実証研究を実施することが不可能であるということ。そのために、理論書の中にあるこれらの高次の発達段階に関する論述は多くの場合において推論の域を超えるものではない。
・少数の実例研究を通して認識された高次の発達段階に関する研究は、必ずしも、それが人間を「善く」するものではないことを示唆している。また、それはしばしばこれらの段階特有の病理や苦悩や困難をもたらすことを示唆している。

 

実際、この領域の代表的な論客であるRobert Keganでさえ、「発達をすれば、仕事がより良くできるようになるのです」と述べてしまうほどなので、この「The Growth-to-Goodness Assumptions」が、専門家も含めて、いかに人々の意識の奥深くに忍び込んでいるかということを窺い知ることができるだろう。
確かに、高次の発達段階がもたらす恩恵も大きなものではあるが、それを「統合的」(integral・integrative)とよんで半ば無批判に称揚して、それに向けて「消費者」を駆り立てるのは、人間の現実をあまりにも無視したものだといえる。

ところで、このくだりを読みながらしきりに思い出されたのは、研究時代に読んだThe Religious and Romantic Origins of Psychoanalysis: Individuation and Integration in Post-Freudian Theory by Suzanne R. Kirschner(Cambridge University Press)という書籍である。

著者の主張は非常に簡潔なもので、いわゆる西欧心理学はその本質において「神」や「霊」等の言葉でいわれる全体性との融合に至ろうとする宗教的な衝動に支えられた営みであり、必然的にその理論はそうした宗教的な救済を約束する物語としての形態をとることになる。

端的に言えば、今日、流行の兆しをみせている発達理論もそうした特徴をそなえているということである。
もちろん、それが悪いということではないが、少なくとも関係者はみずからの探求が意識の深いところに息づく救済を求めるつよい衝動に呪縛されたものであることに自覚的であるべきであろう。
そして、また、そのことがみずからが現実を認識するときに――そして、それを理論化するときに――自己の意識に歪曲的な影響をあたえるということに注意をする必要があるだろう。
とりわけ、今日の時代精神は、本質的に、経済的な成功を得ることを救済の王道として位置づけ、そうした価値観を全ての人々の意識を強烈に呪縛しているために、心理学理論は容易に経済的な成功を約束する救済の物語に転換されてしまうことになる。
即ち、人間として発達することそのものが救済を得ることであり、そして、救済とはとりもなおさず経済的な成功を獲得することであるならば、発達は必然的に経済的成功に直結するものでなければならないという物語に洗脳されてしまうのである。

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