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新日本フィルハーモニー第606回定期演奏会を聴いて

新日本フィルハーモニー(NJP)の第606回定期演奏会を墨田トリフォニーで聴いてきた。今日の指揮者はフィリップ・ヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe)。

 


まず、今日のメインとして置かれたシューマンの交響曲第2番に関して。
聴きながら思ったのは、「もしこの作品がロベルト・シューマンという有名作曲家のものでなかったとしたら、これほどまでに長くにわたり聴きつづけられたのだろうか……?」という素朴な疑問だ。
少なくとも第1・2楽章は全く凡庸な音楽だと思う。
確かに第3・4楽章は聴くに耐える出来ではあるが、古今東西の無数の名曲の中から、あえてこの作品を演奏会のメインとしてとりあげるほどの価値があるとは信じられないのである。
個人的に特に気になるのは、作品の中に包含される感情の揺れ幅が非常に「狭い」ということだ。
音だけを聞くと、そこには大きな高揚があるように思われるが、それらの音を書いている作曲者の心が真にそうした起伏を感じているとは到底思えないのである。
そこには「嘘くさい」雰囲気が常につきまとうのである。
また、そうした「齟齬」にたいする作曲者の苦しい葛藤があるかというと、必ずしもそういうわけでもない。
感情のダイナミズムを喪失した状態で書かれたこの作品は、表面的には交響曲の作曲作法に則っており、形式的には起伏のあるドラマが描かれているようにみえるが、どうしてもそれらは作曲者の内的な真実と乖離したところで作りあげられた嘘に思えてしまうのである。
あえていえば、第3楽章の深い悲しみに作曲者の本音が垣間見えるくらいである。
もしかしたら、こうした作品の「歪さ」が高く評価されているところなのかもしれないが、それはあくまでも作曲当時の作曲者の精神状態を知識として仕入れていればこそあじわえる愉しみ方であり、窮極的には作品そのものの力ではない。
単なる知的な愉しみでしかないのである。
今宵のNJPの演奏は最上のものだったと思うが、こうした作品そのものにたいする違和感は払拭できず――また、こうした作品を名曲と信じ込まされて聞かされていることにたいする居心地の悪さもあり――ほとんど感動をあじわうことはできなかった。
真に優れた古典音楽というのは、普段こうした音楽を聴かない聴衆をも圧倒するようなものでなければならないと思うのだが、そうした意味では、作品の力が弱過ぎる。

これにくらべると、前半の二曲は上々の出来だと思った。
はじめの序曲「フィンガルの洞窟」を耳にしてまず印象的だったのは、ヘレヴェッヘが指揮をすると、NJPが実に古雅なあじわいを湛えた音を紡ぐこと。
それでいて、上岡体制のもとで育んだ繊細な感性があらゆるところに瑞々しく息づいている。
古い西欧の風景画を眺めていると――実際に自分の目で見たわけでもないのに――額縁の中に収められた「失われた過去」にたいする淡い郷愁を覚えるものだが、今日の演奏を聴きながら、それと似た想いが心に去来した。
メンデルスゾーンは必ずしも普段積極的に聴きたいと思う作曲家ではないのだが、この作品は「詩情」という言葉のほんとうの意味をおしえてくれるような逸品であることにあらためて気づかされた。
次のシューマンのピアノ協奏曲は、ソリストに仲道 郁代を迎えての演奏で、特に第1楽章が絶品だった。
ゆったりと間をとり、たいせつなところで弱音を奏で聴衆を魅了していく。
また、仲道の奏でる音には常に優しさと温かさが息づいている。
こうした響きがこのピアニストの何よりの魅力だと思う。
あえていえば、それは幼子に子守唄を歌う母親の姿に宿る愛のようなものを想起させる。
また、仲道の演奏を聴きながら思ったのは、演奏者の音には実にその人柄が滲み出るものだなあ……ということだ。
彼女のインタビュー動画等を観ると、美貌と才能をあたえられていることにくわえ、経済的な豊かさ等も含めて、様々な意味で恵まれた人であることが推察されるが、そのように祝福されて生まれていることが、実に素直な幸福感として音に託されているように思われる。
確かに、芸術には苦悩や寂寥のようなものも必要だと思うが、しかし、そうしたもので勝負するのではなく、むしろ、この世に生きる極少数の人達だけが享受することのできる屈託のない祝福を音に託して届けてくれる演奏家がいてもいいと思う。
この作品は正に作曲者が愛する者にその想いを告白するようなひたむきさに溢れた作品だが、仲道の奏でる美音には、ときには寂しさが、また、ときには喜びが過度な刺激を伴わずに息づいていた。
第3楽章はさらなる強靭な躍動感がほしいところだが、全体としてはとても素敵な演奏だったと思う。
実際、第1楽章では、シューマンのあまりにもひたむきな想いに心を動かされ、思わず落泪してしまった(周りの聴衆の方々もハンカチで目をぬぐっていた)。

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