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優れた次世代の台頭を実感する

このところ「ティール組織」(Re-Inventing Organizations)が注目を集めていることもあり、その関連で、そうした領域で活躍される方々と話しをさせていただくことが頻繁にあるのだが、いい意味で状況が変化していると思うのは、そうした方々の多くが、そうした話題の書籍を読むだけではなく、その情報源となっている比較的に専門的な分権にもアクセスされていることである。
また、実際に海外のトレイニング・イベント等にも参加して、関係する研究者や実践者と直接的に意見や情報を交換している。
これは実に素晴らしいことで、これまではみずからの責任でそうした行動を起こしている人達の人数が非常に限られていたことを考慮すると、こうした話題をとりまく関係者の質が確実に向上していることを実感する。
また、そうした方々と話をするとこちらとしても大きな刺激をもらえる。
10年前は想像もできなかったことである。

ところで、そうした方々にいくつかの共通した特徴があるように思う。
もちろん、サンプル数が非常に少ないので、必ずしも一般化はできないが、少なくても思索の糧(“food for thought”)にはなると思う。

ひとつはいわゆるメイン・ストリームの世界を十分に経験しており、また、その文脈で優秀な活躍をしている、あるいは、活躍していたということである。
換言すれば、たとえばそれがいかに歪な世界であるとしても、合理性段階の世界の中で実践者として鍛錬を積んできているということだ。
このことは、単に高度の思考ができるというだけでなく、自己の意志にもとづいて、あらたな知見を得るために必要な行動を自律的に起こすことができるということだ。
そのために、会話において、彼等は、こちらに情報や洞察を求めてくるのではなく、ある程度の勉強や調査や経験を積んだ上でその過程の中で芽生えた意見や疑問を呈示してくれるのである。

ふたつめは、メイン・ストリームの世界に片足を置いていながらも、同時にその枠内に収まらない探求や活動を既に展開しているということだ。
それにより、今日の社会の支配的な価値観・世界観の中で排除・抑圧されてしまう現実に触れることができているのである。
重要なことは、ここで「異なる現実に触れることができている」というときに意味しているのは、単にひとつの大きな物語の中に併存する複数の現実にアクセスできているということではなく、基本的に相容れないものとして存在して複数の現実に意識が開けているということである。
即ち、たとえば企業組織の能力開発の方法として採用されている越境学習に象徴されるように(例:大企業と中小企業のあいだの人材交流)、基本的に同じ文脈の中で立場を異にしている組織の間を行き来するというものではなく、深いところで質を異にする価値観や世界観の間を行き来することができているということである(あるいは、そうした越境の可能性に意識が開かれているということである)。

端的に言えば、これらの二つの条件は、強固な合理性段階(Orange)の基盤の上に相対主義段階(Green)の意識を芽生えさせはじめているという、現代社会においては稀有な意識のありかたを体現している人々の発想を示していると思う。

こうした人々と会話をするときには、先ずは互いの価値観や世界観を確かめ合うことに時間を用いることになる。
それぞれが「常識」として社会の中で共有されている価値観や世界観をどれくらい対象化して眺めることができているのか、そして、そうした精神的な距離感を糧にして、具体的にどのような行動や活動を展開しているのかということを確認するのである。
また、こうした会話においては、必然的にそうした同時代の支配的な価値観や世界観と阻害された感覚を得るに至ったプロセスについて共有をすることになるので、それぞれの人間としてのこれまでの歩みを知ることができ、実に興味深い時間となる。

そして、このように合理性段階(Orange)と相対主義段階(Green)の世界を真に経験していると人達に共通していることとして、もうひとつ特筆すべきことがある。
それは、高次の価値観・世界観として存在するものとして想定されている「統合的段階」(Teal)というものを現実的な感覚でひとつの「可能性」としてとらえることができているということである。
換言すれば、合理性段階(Orange)と相対主義段階(Green)の狭間において日々を生きることができていればこそ、流行の書籍の中で謳われているあたらしいパラダイムというものが、単なる個人の努力によりもたらされるものではなく、そのために必要とされる集合的な条件がそろうときに生起するかもしれない可能性に過ぎないことを認識しているのである。
況や、単に関連書の中で紹介されている事例の真似をすれば、それで高次の発達段階の意識や能力を獲得したことにはならないことを冷徹に認識している。
実際、システム思考(Early Systems Thinking〜Advanced Systems Thinking)の段階として説明されるGreen〜Tealにおいては、変化や変革というものを歴史的な文脈の中でとらえることができるようになるものである。
そうした感性を有する者にとり、高次の発達段階の典型的な行動として紹介されたものを純朴に実践すれば、それでパラダイム・シフトが実現されると発想することは単なる短絡的な発想でしかない。
少なくとも、そうした実践をすることで来るべき時代の中で勝利者として生き延びることができると発想することなどは、こうした段階論の最も稚拙な誤用として見做されることになる。
必然的に、こうした人々は、たとえそれがいかなる発達理論であれ、それがあくまでも将来的な可能性を示唆するものに過ぎないことを最低限の醒めをもってとらえることができている。

Harvard Graduate School of Educationで長年にわたり発達心理学者の教育領域への応用に関して調査・研究に携わったZachary Steinは、Blogの中で、「耐久性」(resiliency)をはじめとする人間の深層的な諸能力を測定・開発することに血眼になる今日の社会の在り方に警鐘を鳴らしている。
いうまでもなく、こうした状況は、そうした能力を開発しなければ生き延びていけないほどに社会が殺伐化していることを意味しているのだが、われわれは往々にしてそうした時代的・社会的な病理そのものには注意を払わずに、そこに少しでも効果的に適応して生き延びていくことばかりに興味・関心を向けてしまう。
端的に言えば、そうした時代的な状況そのものを深刻な病理として認識して、その治癒に関心を払えることが必要とされているのだと指摘しているのである。
個人的に全く同感で、今日の時代状況の中でGreen〜Teal段階の発想を実践するとは、結局のところ、こういう批判的な精神を発揮することであるはずだと思うのである。
そこには紛れもなく同時代を俯瞰してその構造を深く理解しようとするシステム思考の視点と感性が息づいている。
こうして考えると、現在ひろく注目を集めている「ティール組織」関連のムーヴメントは、こうした研究者の洞察に耳を傾けるべきなのだと思う。

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