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第17回東京音楽コンクール本選を聴いて


8月22日
第17回東京音楽コンクール本選・木管部門を聴くことができた。
5人のコンテスタントが演奏したが、いずれも優秀で、あまり演奏会ではとりあげられない作品の魅力を見事に開示してくれた。
個人的に特に印象に残ったのは、亀居 優斗さんと八木 瑛子さんで、この二人は同列首位としていいと思った。
亀居さんは、舞台慣れしたベテランの存在感を発揮して、ウェーバーの哀愁を豊穣に表現した。
日本フィルハーモニーの伴奏も充実しており、これがコンクールであるということを完全に忘れて、純粋に作品の魅力を満喫することができた。
イベールのフルート協奏曲を演奏した八木さんは、常に情感のある美音で詩情溢れた演奏を展開した。
個人的にはあまり縁の無い作曲家の作品なのだが、彼女の演奏を聴いていて、まるでラヴェルの作品を想起させるほどに美しい音楽世界を堪能することができた。
この二人の演奏家に共通するのは、その演奏が常に心を感じさせることで、音楽を奏でるということの最も重要な要素を揺ぎなく理解していると思った。
たとえどれほど達者な演奏でも、これが欠けていると、聴衆に感動をもたらすことはできない。
もうひとり強い印象をあたえられたのが、清水 伶さんである。
機知に富んだ演奏を展開して非常に感心させられた。
また、舞台上の存在感も大きく、今後、音楽家として熟してくると、優れた演奏家に成長するのではないかと思う。
今日の演奏を聴く限り、舞台上の身振りが少々過剰に思えるのと、その攻撃的な演奏がまだ聴衆の心をじんわりと揺り動かすところに達していない印象をあたえられた。
その点では、先述の二人の演奏家に水をあけられていたように思う。
ただし、大きな潜在性を感じるので、これからもどんどん攻めていってほしいと思う。

 

8月24日
第17回東京音楽コンクール本選・ピアノ部門を聴いた。
開場時間に到着すると長蛇の列ができている。
こういうイベントに注目が集まるのは実に嬉しいことだ。
目の飛び出るような高い料金を払い外国の演奏家を聴きにいかなくても良質な音楽は身近にあるものなのである。
今日の演奏会の最大の貢献者は角田 鋼亮氏の指揮する東京フィルハーモニーの伴奏だと思う。
長丁場の演奏会だが、とても充実した響きで若いコンテスタントを支えていた。
特にラフマニノフとプロコフィエフでは、ピアノが休んでオーケストラだけが音楽を奏でている場面で音楽の美しさに浸らせてくれた。
ラフマニノフでは、薄明の中で悲しみに暮れる作曲者の心情をまるで葬送の音楽のように濃厚に音楽を奏でたし、また、プロコフィエフでは、鋼鉄の機会に浸食された世界の中で人間的な心を奪われた人々の存在を猛烈な迫力で描いていた。
ただし、ラヴェルのピアノ協奏曲だけは、作品そのものが
繊細な硝子細工のように書かれていることもあり、少々苦戦していたように思われた。
今日の演奏会で印象に残ったのは、ラフマニノフを弾いた伊舟城 歩生さんとプロコフィエフを弾いた秋山 紗穂さんだ。
伊舟城さんの演奏は、いい意味でとても日本人的な演奏で、大袈裟な身振りはしないが、常に心を籠めて丁寧に音楽を奏でる。
その音楽は常に等身大のもので、自己の内に真に感じているものに忠実で、恣意的な演奏効果を排しているように思えたそうした意味でとても好感を覚えたのだが、いっぽうそうしたスタンスで音楽を押し通そうとすると一本調子になってしまい、これだけの長い作品だと徐々に驚きを求めたくなる。
特に第3楽章は、もう少し「けれん」のようなものがあってもいいのではないかと思う。
換言すれば、もう少し自己の表現の限界に挑戦してもいいのではないかと思うのだ……。
いずれにしても、今後、年齢と経験を重ねると共に表現の幅がひろがると非常に優れたピアニストに成長されるのではないかと思う。
秋山さんは、あえてこの難曲をとりあげて、激しい意志と気迫をもって長大な作品を見事に弾き切ったことに驚嘆をさせられた。
個人的には、必ずしも共感を覚える作品ではないのだが、その音楽に耳を澄ましていると、プロコフィエフという作曲家が描いた、殺伐とした世界の中で喘ぐ人間の息づかいがこちらの心に届いてくる。
深い情緒に陶酔させてくれる音楽ではなく、こちらの知性に刺激して挑戦を挑んでくる作品であるが、
この機会にそうした作品を敢然と選び轟然とした響きで会場を満たしたその実力はたいしたものだと思う。
そうした意味でも、この日のベストは秋山さんだろう。
ラヴェルを弾いた大崎 由貴さんは、きっと深い思いいれのある作品を選んだのだろうが、どういうわけか最後までラヴェルの音楽を聴く愉しみを聴衆に伝えることができずに終わった。
また、シューマンを弾いた北村 明日人さんは、それなりに素晴らしい演奏を展開したが、こうした作品の場合、演奏に唯一無二の「香り」のようなものを求めたくなってしまう。
個人的にはこの作品にはルノワールの絵画に漂う香気のようなものを期待してしまうのだが、そうした要素があまり感じられないことに――贅沢な要求であることは自覚しているのだが――不満を覚えてしまった。

 

8月26日
第17回東京音楽コンクール本選・声楽部門。
他部門とくらべると、声楽部門の本選は文字通りガラ・コンサートのような雰囲気である。
また、とりあげられる作品も娯楽性の高いものであるために、コンテスタントにも、エンターテイナーとしての能力が強く求められる。
端的に言えば、「芸術家」として乙に澄まして技を披露すればいいのではなく、聴衆を娯しませることにエネルギーを投じなければいけないのである。
そうした意味では、今日の演奏会では、竹下 裕美さんと井出 壮志朗さんが突出していたと思う。
ただし、井出さんに関しては非常に高い表現力を有しているのだが、それを一貫してパワフルに表現してしまうので、陰影のようなものが欠落してしまう。
たとえば、そこに「弱さ」のようなものを垣間見せることができれば、全く印象が異なってくると思うのだが、そうした要素が無いのである。
あえていえば、全身を鍛え上げたボディ・ビルダーが舞台の上で裸になって「凄いだろう!!」とその筋骨隆々の全身を観客に見せつけているような印象をあたえられるのである。
そういう類の迫力を求める聴衆もいるのだろうが、個人的には興味を覚えない。
逆に竹下さんの歌唱は非常に芸術性に溢れたもので、表現の幅が著しくひろく、また、その舞台上の存在感は聴衆をたのしませることの重要性に通暁したベテランのそれを想起させた。
3曲目で少々集中力が途切れたように思われたが、今日の5人のコンテスタントの中では頭抜けていたと思う。
特にマスネとプッチーニではその美しさに思わず泪してしまった。
工藤 和真さんの歌唱も優れたものだったが、その達者ぶりに関心はするのだが、その歌の力がどこか舞台上に留まっていて、もっともっと聴衆に届いてきてほしいという感覚を拭うことができずに終わった。
伴奏をつとめた現田 茂夫氏率いる東京交響楽団の演奏も豪華で、何よりもコンテスタントを温かい表情で支えている団員の方々の表情を眺めているだけで、こちらまで嬉しくなる。

 

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