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感想:大野 和士&東京都交響楽団 第885回定期演奏会@サントリーホール

感想:大野 和士&東京都交響楽団 第885回定期演奏会@サントリーホール

 

https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3237&my=2019&mm=9

 

残念ながら、大野 和士はブルックナー指揮者としての資質を著しく欠いているように思う。
世界最高水準の技量を有する東京都交響楽団を豪然と鳴り響かせて見事な音響を構築をするのだが、その音に全く深みがなく、また、間の取り方があまりにも悪いために、常に器の小ささを感じさせてしまう。
そのテンポ設定はひどくセカセカとしたもので、その必然性を全く感じさせてくれない。
われわれがこの作曲者の交響曲に期待する造言が全く聞こえてこないのである。
少々スタイルは異なるが、あのカラヤンのブルックナーを思いだした。
周知のように、その演奏は正に絢爛豪華で陳腐なハリウッド映画の特殊効果を想起させるもので、正にブルックナーのパロディと形容できるものだった。
もちろん、当時のベルリン・フィルハーモニーと比べれば、今の都響には圧倒的に優れたしなやかさがあるので、あれほど暴力的には聞こえないが、それにしても大野の解釈はあまりにも外向的である。
都響の演奏者達はこのような指揮者の解釈にほんとうに共感して演奏しているのだろうか……?――と素朴な疑問を抱いてしまう。
先日、アラン・ギルバートの指揮で圧倒的なブルックナーの名演を聴いたばかりだが、同じ優秀なオーケストラでも、指揮者が変わるとこれほどまでの感動の質が落ちてしまうものなのである。
いずれにしても、大野 和士という指揮者は、その肉体的な年齢とは関係なく、いっさいの老いや衰えとは無縁の活力溢れる壮年期の精神を魅力とする芸術家だと思う。
そうした資質はーーその卓抜した指揮技術と相俟って――たとえば先日のラフマニノフの「交響的舞曲」のような作品では見事に発揮されるが、こうした作品を指揮するときにはその限界が露骨に露呈してしまう。
個人的にも非常に大きな期待を寄せている指揮者なのだが――この指揮者の演奏を聴きたくて、東京都交響楽団の定期会員になっている――こういう演奏を聴かされると、そんな気持ちが雲散霧消してしまいそうになる。

 

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