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感想:新日本フィルハーモニー第609回定期演奏会@サントリー・ホール

第609回定期演奏会@サントリー・ホール

上岡 敏之&新日本フィルハーモニー


シューベルト:交響曲第4番
ブルックナー:交響曲第7番

 

https://www.njp.or.jp/concerts/8655

 

録音を含めて、これまでに聴いたブルックナーの交響曲第7番の演奏の中でも指折りの名演。
超越的なものとの邂逅と対話というこの作品の本質を完璧にとらえた演奏で、意識にとらえられたと思うと瞬時に彼方に消えていく恩寵を探し求めるたましいの彷徨が実に鮮烈に描かれていた。
また、これは上岡 敏之の演奏の大きな特徴であるが、その長大な演奏時間をとおして、音楽が一瞬も弛緩することない。
そこには、こうした深い内的な営みに息づく寂寥と共に胸の奥に幽かに灯る希望と確信が最美の音楽として交互に奏でられていく。
上岡の演奏には、常に瑞々しい祈りがあり、また、そこには聴衆の心を優しく暖めてくれる微笑みがある。
ときには天使が舞い降りて、会場全体が清澄な光に充たされて浄化されるような感覚にとらわれさえする。
こうした演奏は、たとえば晩年のギュンター・ヴァントの演奏がそうであったように、聴衆を宇宙の深淵と向き合わせるような厳しい気迫と叡智を宿した凄演とは異なるもので、そうした峻厳な精神の格闘を必要としない、真の意味で祝福された芸術家の演奏であるように思われる。
この日の演奏会では、第1楽章の冒頭から涙腺が弛んでしまいハンカチを忘れたことを後悔したが、気がつくと周囲からも啜り泣きが聞こえてくる。
上岡 敏之の音楽性とはそういう類のものである。

指揮者の超高難易度の要求に懸命に応えようとするNJPの献身にも心を揺さぶられた。
特に第1バイオリンの美しさは唖然とするほどで、大袈裟ではなく、聴いていて気絶しそうになるほどだった。
ホルンを中心として、この作品の音響構造の要となる金管群は少々苦戦を強いられていたようだが、そもそも指揮者の要求そのものが常識を超えたレベルの微細さと繊細さを求めるものであることを鑑みれば、十分に健闘していたと思う。
端的に言えば、演奏芸術の極北を志向する上岡の解釈は、たとえばベルリン・フィルハーモニーのような世界最高峰の技術集団がなければ完璧に音化することは不可能なものであり、そうした意味では、この日のNJPの演奏に散見された些細な事故をあげつらうことに意味はないだろう。
こうした演奏に触れると、あらためて上岡 敏之の芸術性が真に世界的にも類い稀なものであることを痛感する。
真の意味で個性的であり、唯一無二のものだと思う。

個々の楽章について感想を書きはじめると際限がなくなるし、また、この日の演奏には、具体的な箇所について云々することを無意味に感じさせるものだった。
前日に同じ会場で大野 和士&東京都交響楽団のブルックナーの交響曲を聴いたが、それとくらべると、完全に別次元の演奏で、技術的な優位性を誇る都響を駆使して大音響で奏でられた大野の解釈が足下にも及ばないものだった。
結局のところ、これは大野 和士という指揮者がブルックナーの本質をとらえそこねているということなのだろう。
但し、今後、大野が勉強を重ねれば上岡 敏之の水準に到達するかといえばそうではなく、上岡にはそうした比較を絶した突然変異的なものが紛れもなく息づいているように思うのである。

尚、確か日曜日に横浜での公演があると思うので、今日会場に来れなかった方は是非とも足を運んでいただきたい。
一生の宝になると思う。

 

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