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Orangeの真の可能性に気づくこと

先日は、長年にわたりIntegral Japanで活動を共にしている後藤 友洋さんのインテグラル・エジュケーション講座に出席してきた。
後藤さんは国内でも最も優れたインテグラル理論の理解者のひとりだが、彼の場合、長年にわたり教育の現場に身を置いて実践を重ねているために、事例も豊富で、その説明に非常に説得力がある。
話もじょうずで全く飽きさせない。
この連続講座も、会を重ねるごとに参加者の理解が確実に深まっていくのが感じとれる。

 

ところで、今日の話題のひとつとなったのは、「現在、“Green”や“Teal”として分類されている諸々の現象は果たしてほんとうにGreenやTealなのか? むしろ、それはOrange段階の現象として理解されるべきなのではないか?」というものであった。
こうした疑問が沸いてくる背景には、現在の社会に於いてOrange段階そのものが「フラットランド」(flatland)の影響下で非常に病理化しているということがある。
そうした病理があまりにも深刻であるために、Orangeの可能性が悉く歪曲され破壊的なものに結実してしまっているために、Orangeの価値や利点が酷く覆い隠されてしまっているのである。
こうした時代的な状況のなかで、その限界をのりこえようと、さまざまな画期的な施策や発想がこころみられているわけだが、それらを子細に眺めていくと、ほとんどの場合において、そこで活用されている思考や発想の型はOrange(Advanced Linear Thinking)であるように思われるのである。
呈示されている具体的な施策はなかなか斬新ではあるが、そこで用いられている思考の「形態」(form)そのものはOrangeなのである。
それらの施策が非常に斬新なものにみえるのは、それらが真に健全なOrangeの思考を発揮しているからである。

実際のところ、われわれは健全なOrangeが発揮される場面に出会うことはほとんどない。
健全なOrangeと出会うとき、それがあまりにも馴染みのないものであるために、われわれの目にはあたかもそれが全く別次元のものであるかのようにみえることになる。
それほどに現代のOrangeは極度に病理化しているのである。
社会そのものが「フラットランド」に徹底的に冒されている状況に於いて、それに感染せずに健全なかたちで発揮されているOrangeとはどのようなものか? と問われると、われわれには想像もできないのである。

結局のところ、真に重要なのは、高次の思考や発想を発揮することではない。
真に重要なのは、真の治癒や成長を実現するためにこの時代が必要とするものを実践することである。
そして、実際のところ、いまわれわれが必要としているのは、高い次元の思考や発想ではなく、今日の社会を支配する思考や発想の形態を健全なものに治癒することなのである。
ある程度の健全性を回復しないままに高い次元をめざしても、それは失敗に終わるだけである。
そして、そうした治癒的なとりくみに、GreenやTealといった名称があたえられているということなのだろう。

しかし、裏返して言えば、これは、いわゆる「Orange」(Advanced Linear Thinking)の潜在性をわれわれはまだまだフルに利用しきれていないということでもある。
「フラットランド」の拘束のもと、非常に限定的にしか用いていなかつた能力を健全な方向で運用すると、そこには非常に異なるが生み出しえるのである。

 

思想家のケン・ウィルバーも指摘していることだが、目の前であたらしいことが起こると、人はそれが歴史的に画期的なイベントであると思いがちになる。
人は自分が特別な時代に生まれあわせていると思いたいものなのである。
それは人の性のようなものなのかもしれない。
こういう事情もあり、われわれは目の前にあるあたらしいものにGreenやTealといった名称をあたえたくなるのだろう。

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