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「聴く」ことについて

 

わたしは普段は企業組織に於いて人材育成や組織開発の業務に携わっているが、そうした活動に従事する中で最も活用しているのが「聴く技術」である。
もちろん、業務の中には、それ以外の多種多様な要素が存在しているのは事実である(例:企画について調査・構想・設計・実施すること)。
しかし、少なくてもわたしの場合、それらの活動の中心にあるのが「聴く」という行為である。
実は、この「聴く」ことに関して自分を最も鍛えてくれたのが音楽である。
特にクラシック音楽は、聴くことの奥深さを最も訓えてくれた。
クラシック音楽に於いては、音楽を聴くとは、結局のところ、その音響を聴くことだけでなく、そこに籠められている意味や意志や真実を聴くことにほかならない。
音響としての音楽は聴覚さえあれば感覚的にとらえることができるが、その音楽が内包しているものは、心と魂で聴くことしかできないのである。
そういう聴き方をしていると、はじめは何も語りかけてこなかった作品があるとき突然に深い意味を語りはじめてくれる。
また、ときには、あたかも自身が作曲者になったかのように全ての音符の意味が直接に感得できることさえある(これは正にエイブラハム・マズローが「至高体験」と呼んだものであろう)。
11〜12歳の頃にTVで放映されていた『スター・ウォーズ』を観たときに劇中に流れていたジョン・ウィリアムズの音楽に感激して以降、40年近くにわたりオーケストラ音楽を夢中に聴き続けてきたが、現在の日々の仕事を支えてくれる中心的な技術は基本的にこの過程で育まれたものである。
後年、いわゆる「傾聴」に関する解説書を読んだとき、そこに書かれていることが、真剣に音楽を聴くことにくらべれば、あまりにも「常識的」であり、また、あまりにも「表層的」であることに呆れたが、そのように思えたのも、ひとえに音楽の恩恵なのである。
音楽を聴くことは、ある意味では、他者(作曲者と演奏者)の中に開示された真実に触れることだが、ときとして、そうした行為を通して、われわれ鑑賞者の存在そのものが変容してしまうことがある。
実際、自身のことを振り返っても、そうした演奏会を何回か経験している。
それほどまでに音楽には人間の存在に深く作用する力が息づいているのである。
また、これは特に演奏会場で生の演奏に触れると肌感覚で判るのだが、音楽には、会場にいる人間の意識の状態を一瞬にして変えてしまう超常的な力が宿っている。
その演奏者が音楽を奏ではじめてほんの数秒のあいだに、大会場の空気が変質してしまい、また、聴衆の目に自然と泪が溢れてくるということは、確かにあるのである。
たとえば、個人的な体験でいえば、2017年に東京オペラシティで開催された日本音楽コンクール本選のバイオリン部門に於いて、当時高校生の大関 万結さんがシベリウスの協奏曲を演奏したときのことを鮮烈に憶えている。
実はこの本選ではたまたま3人のソリストがこの作品を選んだため、われわれは同じ曲を続けて聴かされることになり、少々辟易していた。
しかし、後半に登場した大関さんが第1楽章のソロを弾きはじめると、会場の空気は一変してしまい、わたしも途轍もないものに打たれた感覚に襲われて、思わず前に乗り出してしまった。
面白いことに、伴奏を務めていた神奈川フィルハーモニーの音質も途端に生命力を増して、正に協奏曲の名に相応しく、この若いソリストの清冽な響きと四つに組んで、高い燃焼度の音楽を奏ではじめた(もちろん、演奏者達は、それまで手を抜いていたわけではないだろうが、芸術とはそういう容赦の無いものなのだ)。
国内最高峰のコンクール本選に勝ち残ったソリスト達であるから、彼等が非常に高度の技術を有しているのはいうまでもない。
しかし、こうした舞台に於いて窮極的に求められるのはそうしたところではない。
端的に言えば、それは、聴衆の心と魂を揺さぶることができるのかどうかということだ。
そうした意味で、大関さんは、他の年上の演奏者を完全に圧倒して、われわれ聴衆の存在そのものを変容させてしまったのである。

こうした奇跡的な舞台に立ち会うと、われわれ聴衆に求められるのは、「聴く」ための技術を鍛錬しておくことだと強く思う。
われわれがそうした鍛錬を怠れば、われわれを神聖な領域につなげてくれる優れた芸術家を埋もれさせてしまうことになる。
それは、社会にとり、そして、人類にとり大きな損失である。

研究生時代に哲学者・中村 雄二郎の著書を集中的に読んだことがあるのだが、その中に「古来より神の声は“聴く”ものとして認識されていた」という意の文章があり、今も印象深く記憶している。
われわれ人間にあたえられている器官は、この現象世界だけでなく、それを超えた神聖な世界に開かれているが、正に中村が述べるように、中でも「聴覚」はそうした特性を顕著に有しているように思う。
幸いなことに、東京は世界最大の音楽都市である。
これほどまでに優れた演奏会場が複数あるだけでなく、世界水準のオーケストラがこれほど多く活躍している都市は他に存在しないと思う(また、近年は地方都市の団体も水準を上げ、素晴らしい活動を展開している)。
そうした意味では、内的探求を深めていくためには、われわれは最も恵まれたところに暮らしているといえる。