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上岡 敏之氏の退任のしらせに思う

先日、新日本フィルハーモニー(NJP)のHPで告知があり、現音楽監督の上岡 敏之が2020〜2021年をもって退任するという。
あまりにも残念なしらせに、愕然としてしまった。
極端なことを言えば、これでNJPを聴く理由が無くなってしまったとさえいえる。
国内・国外の著名な演奏家の生演奏を聴いても、たとえそれが非常に立派な演奏であるとしても、非常に例外的な場合を除いて、結局のところ、そこに展開するのは「想定内」のものばかりである。
それは国内の演奏会だけでなく、「本場」の演奏会にもあてはまることである。
欧米の主要都市に出張する折には、いわゆる名門団体の演奏会にも脚を運ぶようにしているが、同じようなものである。
しかし、上岡 敏之という音楽家は地球上のどの演奏会場でも聴くことのできない唯一無二の演奏を期待させてくれる。
もちろん、あきらかに「失敗」と思われる演奏もあるのだが、逆に感激と感動のあまり気絶するほどに素晴らしい演奏もあるのである。
それは生演奏を聴くことの醍醐味そのものであり、そういう音楽を奏でられる芸術家というのは、世界を見渡しても極々少数しかいない。
実際、これまで上岡の指揮するNJPの演奏を聴いて、「この極東の地になぜこんな欧州の香りを湛えた音楽が鳴っているのだろう」と何度も驚愕させられたものである。
上岡はその存在を通して何か超越的な集合精神を媒介しているようにしか思えないのだが、こんな指揮者が日本に生まれたことの不思議にただただ心を打たれたのである。
そういう指揮者をてばなすとは、NJPは何と愚かなことをするのだろう……。
それに、わたしのよう素人から診ても、上岡監督の下でNJPが成し遂げるべきことは、まだまだたくさんあるはずだ。
あの超繊細な最弱音を音が痩せることなく奏でることも、全強奏の部分で美感を保った音響を響かせることも、そして、アンサンブルの総合的な強靭性と安定性を高めることも……。
そうした技術的な課題を上岡氏の高い芸術的な要求の下で応えることができてこそ、はじめてこのアンサンブルは次の次元に行けるのではないか。
無論、「個性的」ということばでは全く追いつかないほどに個性的な芸術家なので、その音楽性と肌が合わない演奏者もいることだろうし、また、ああした芸術至上主義的な音楽を解する聴衆が極端に少ないために、集客に苦労をしているのも事実であろう。
しかし、ここで音楽監督を替えて、NJPの「次」があるとはとうてい思えない。
だれにでも「素晴らしい」と称賛されるありきたりの「立派」な音楽を奏でる指揮者を迎えたところで、現在の日本の音楽団体の水準の高さを鑑みれば、そんな音楽は「あたりまえ」のものとして、それほど注目されることもないだろう。
いずれにしても、今回の決断は、NJPにとっては最悪のタイミングで為された最悪の内容のものといえる。
ここ数年のあいだに、上岡体制の下で着実に驚異的な成果を上げつつあったのを道半ばで放棄して、NJPはこれからどういう構想と方向性をもって活動を展開しよういうのだろう?
これまで定期会員として応援をしてきたが、今回のしらせには深く落胆をし、また、今後の東京地区の音楽文化の将来を思うと暗澹とする気持ちに陥るのである。
何と愚かなことを……。