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答えの無い問いと格闘できること


このところ、成人発達理論やインテグラル理論について熱心に勉強をしている方々と話しをさせていただく機会が増えている。
初学者向けの入門書も出揃い、敷居が低くなっているとはいえ、それなりに難解な内容の書籍と格闘している方々達なので、その感性は鋭く、また、その問題意識も高い。
一応、「解説者」「紹介者」という立場で話しをさせていただくのだが、こちらとしても、その真摯な姿勢にしばしば感服させられる。
これは嬉しい驚きなのだが、想定よりも多くの方々が、こうした理論が、単に実利的な価値や成果を得るためのものではないことを理解されている。
本質的にはそうした次元を超えた目的のためのものであることを認識しているのだ。
同時に、こうした理論に触れ、あたらしい視点で現実を見渡せるようになることで、そこにはこれまでにない「悩み」がもたらされることにもなる。
そうした独特の「悩み」と格闘している姿を見ると、何ともいえない感慨を抱かされる。
発達心理学者達は「発達が幸福を保証しない」ことを指摘しているし、また、「自己実現」について研究をしたエイブラハム・マズローは「自己実現の危険性」について言及しているが、実はこういう理論や思想に触れて、ひろく、高く、深くものを視れるようになるということは、これまでにない苦悩をもたらすのである。
個人的には、そうした苦悩を味わえることに対して、先ずは「おめでとうございます」と祝福の言葉を言いたいところではある。
ただし、それは決して楽なことではないので、同時に「御愁傷様」とも御伝えする必要もあるとは思う。
特に苦しいのが、「後慣習的段階」(post-conventional stages)の思考や認識の枠組に触れると、政治や経済や権力をはじめとする「社会」の本質的なところに関してより深い洞察を得ることができるようになるために、半ば不可避的に「それでは自分には何ができるのか?」という問いと格闘することを強いられるようになることだ。
現代社会に於いて、われわれは自らの機能的な能力を開発することを奨励されるし、また、自己の所属組織に貢献するための能力を開発することも奨励される。
しかし、ひとりの人間(市民)として社会や世界に働きかけるためのスキルを鍛錬することを奨励されることは全く無いままに成人している。
即ち、個人の内に存在する多様な能力の中でも、こうした領域の能力の開発が集合規模で阻害されざるをえない社会にわれわれは生きているのである。
そして、そうしたアンバランスは、個人の中に影を生み出し、また、社会の中に集合的な影(the Shadow)を造り出すことになる。
これは正に世界規模で蔓延する非常に深刻な問題といえると思う。
特に「フラットランド」(Flatland)の価値観が蔓延した今日の状況下では、「得」(特に金銭的な得)にならないことのために自己の能力を鍛錬することが侮蔑されてしまう。
そのために、そうしたスキルを獲得することが非常に難しくなるのである。
熱心に勉強をして問題意識が深まるほどに、現代人は、それを実際に表現するためのスキルを開発してきていないことに苦しむことになるのである。
成人発達理論やインテグラル理論というのは、たぶんこうした現代人の普遍的な病理を浮き彫りにするのだと思う。
もちろん、こんなことを書いている自分自身もこの問題と無縁ではなく、実際にこうした領域の自己の無能さに対していたたまれない気持ちに日々襲われている。
こうした問題について考えるときに、思い出すのは、ケン・ウィルバーの言葉である(インタビューの中で述べていたことだと記憶している)。
「われわれが何かを知ることができたとき、そこには、それを他者と共有する責任が生じる。」
即ち、「知識」や「洞察」は、それを得た人間の個人的な所有物ではないということだ。
それを得た瞬間、その人にはそれを他者に伝える責任が生じるのだ。
それはその人の所有物ではなく、同時代の人達に伝達するように、その人に託されたギフトといえるのである。
社会の不特定多数の人を対象に行う実践を「三人称の実践」というが、それをはじめるための第1歩は、自己の内に在る真実を周囲に対して積極的に表現する責任を取ることなのだと思う。
ある意味では、現代に生きるわれわれは、徹底して、こうした実践に消極的であるように「調教」されているのかもしれない。
真実を口にすれば、いろいろと支障が生じるので、そんな面倒なことはしない方がいいと思い込まされているのである。
しかし、人間の成長や発達について勉強をしていると、いずれはこの問題と対決することにならざるをえないのではないだろうか……
昔、研究生時代に実存主義心理学者のロロ・メイ(Rollo May)がある著書の中で、冒頭に「ここには回答は用意されていないので、そのようなものを期待するのであれば、読む必要はない」と読者に対して挑戦的な物言いをしていたが、実際のところ、それは最も正確で親切なアドバイスともいえるかもしれない。
発達理論をまともに勉強すれば、結局は、答えの無い領域に向かわざるをえないことは明瞭である。
個人的には、そうした答えの無い問いと格闘できる人と出遭えることが何よりの喜びである。