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「garbage in, garbage out」

今日は、昔、数年の間就いて発達理論と測定法に関して勉強させていただいた発達心理学者のSusanne Cook-Greuterとその同僚によるウエブ・セミナーに参加した。
駆出しの頃に基礎的なトレイニングを受けた土地勘のある領域ではあるが、それを専門にしている研究者の話を聞くと、いろいろなあたらしい発見がある。
その後、他の発達理論にも触れる中で様々な異質の発想や洞察をあたえられ、全体を俯瞰的に眺めることも少しはできるようになったと思うが、こうした講義を聞きながら、あらためて非常に重要だと思うのは、発達理論といわれるものが内包している盲点に注意をするということだ。
実際、優れた研究者と会話をすると、先ずそのことが明確に指摘される。
また、それにくわえて、それをどのように補えば克服できるのかということに関しても言及される。
実際、今日も発表者はこうしたことを繰り返し指摘していた。
たとえば、思想家のケン・ウィルバーが「AQAL」という概念で指摘するように、発達という概念は人間をとらえるためのひとつのレンズに過ぎない。
その原因を補完するためには、「Quadrants」や「Type」や「States」や「Lines」という概念が必要となるのである。
ところで、個人的には、ウィルバー程壮大な発想をしなくても、先ずは非常にシンプルなことを心懸けるだけで、この問題に効果的に対処できるようになるのではないかと考えている。
そのヒントとなるのが、「garbage in, garbage out」という言葉だ。
翻訳すれば、「どれほど高い思考や認知の能力を有していても、そこで処理をする情報が質の低いものであれば、全ては無駄に終わる」ということだ。
即ち、「高い」情報処理能力を獲得することも重要だが、そうした能力を適用するに価する質の高い情報に触れるように気をつける必要があるのだ。
この言葉はLectica, Inc.のTheo Dawsonの講義の中で出逢い、ハッとさせられた言葉なのだが、あらためて実に示唆に富む言葉だと思う。
もう少し噛み砕いて言えば、こんな風に説明できると思う。
厨房にどんなに素晴らしい調理器具を備えても、食材の質が悪ければ、あまり意味は無い。われわれはそれほど深く考えずに近所の店で食材を購入しているが、果たして流通に乗る食材が真に良質な物であるのか、また、そこに乗らない食材の中にさらに素晴らしいものがあるのでは……とあらためて考えようとはしない。発達理論というのは基本的には厨房の調理器具を整えることに注目をしてしまうが、それと同等にそこで調理される食材の質に注意をするよう気をつける必要があるのである。
「garbage in, garbage out」という言葉が指し示すのは、そういう問題意識なのだと思う。
Dynamic Skill Theoryでは、「perspective taking」と「perspective seeking」を峻別して、他者の視点を理解するために実際に問いかけをすることの重要性を強調するが、こうした発想が、生情報の収集に関しても言えるのではないだろうか……。
特に、現代社会に於いて「優秀」といわれる人達は、長年の教育を通じて、外部の「指示」の下に自己の意識や関心を向けるように条件付けされている(「この文献を読みなさない」「あの文献を読みなさい」「この文献は素晴らしいよ」「あの文献は駄目だよ」)。
何を信頼に足る情報としてとらえるのか、また、何は信頼できないのかということに関する判断を実質的に外注することに慣れているので、真に自身の責任に於いて情報を探すということができなくなっているのである。
また、最悪の場合、そのようにして外部の権威により「承認」された情報源の外に注目しなければならない情報が存在していたとしても、その存在(可能性)に気づけないばかりか、そうしたベクトルの好奇心を抑圧してしまうことさえありえるのだ。
想像するに、現代に於いては、「優秀」な人ほど、こうした条件付けをされているように思う。
そのために、実はあたえられた「食材」の質が低劣なものであっても、それにしかアクセスできないために、他により良質なものがあることに気づけなくなっているのである(「認識しておくべき情報は基本的に認識できていると思う」)。
その意味では、発達理論の効果的な活用法について検討するときには、こうした課題を克服するための具体的な実践を組み込む必要があると思う。
今、自分自身がその存在さえ意識することができていない未知の領域があるということを念頭に置いて探求をする習慣を確立するための実践が必要となるのだ。