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心の「痙攣」としての「自己実現」:『レボリューショナリー・ロード:燃え尽きるまで』を観て

サム・メンデス(Sam Mendes)監督の『レボリューショナリー・ロード:燃え尽きるまで』(Revolutionary Road)を観た。
1950年代の合衆国を舞台にしたドラマであるが、とりあげられている主題は非常に現代的なもので、また、その当時と比較にならないくらいに「自己啓発」や「自己実現」等の言葉が巷に流通している現代に於いては、この作品で主人公達が格闘する心の葛藤は非常に生々しいものとして感じられるだろう。
個人的には、特に臨床心理等の現場に於いて実践をしている支援者の方々に是非御奨めしたいと思う。
ユング派の心理学者であるジェイムズ・ヒルマン(James Hillman)が書いた『The Soul’s Code』の中では、「平凡」であることについて興味深いことが記述されていたと記憶している。
自己実現しようとする強い内的な衝動を抱えた現代人は、しばしば、自らがあらゆる意味で平凡な存在であるという事実を前にして苦悩をあじわうことになるが、そこでは、そうした事実をいかに受容するかということが問われる――というような主張であったと思う。
この作品の主人公達は正にそうした葛藤と直面し、そして、悲劇的な結末に向かっていくわけだが、そこに示されるのは、そうした葛藤と格闘することができるためには、人格的な成熟がいかに重要であるかということだ。
即ち、それは真の「勇気」をもつことであり、また、「ありのまま」に対して感謝できることであるともいえるだろう。
若い主人公夫婦のドラマを視ていると、その若さゆえに、正にそのことを見失ってしまい、「破滅」に向かって歩んでしまっているように思えるのである。

ホックシールドが『管理される心:感情が商品になるとき』の中で指摘しているように、現代の資本主義社会は、われわれに対して自己の人格そのものを商品として道具化するように要請する社会であるといえるが、そうした空気に暴露されつづければ、心は悲鳴をあげて、自己の「正気」と「健康」(integrity)を回復しようとして、いずれは痙攣を起こすことになる。
そうした「痙攣」には様々な形態があると思うが、そのひとつが、いわゆる「自己実現」という表現をとるのだろうと思う。
しかし、現代社会の「邪悪」なところは、「自己実現」さえもが、自己の商品価値を高めるための方法として接収されてしまっているということである。
そのために、そうした衝動が内蔵していた「叫び」が声として発せられる前に封じられてしまうことになるのである。
端的に言えば、自己実現とは、それ「そのもの」のために為されるものだといえるが、今日に於いては、実利的目的性と離れたものを志向する発想そのものが公の場では半ば「市民権」を奪われてしまっているのである。
「自己実現」という概念は決して一筋縄ではいかない複雑なものであるが、この『Revolutionary Road』という作品は、こうしたことについて考えるうえで実に刺激的な素材を提唱してくれる。