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現代人の心に潜む脆弱性

SNS上では、定期的に学校社会の中で強制されている異常な校則に関する記事が回覧されてくるが、それらの記事を眺めたときに心配するのは、そうした環境の中で長年暮らし、そこで人格形成期を過ごしてしまうと、「規則」を無批判に受け容れるべきものとして認識してしまう癖を心の奥底に刷り込まれてしまうのではないかということだ。
即ち、そうした環境は、規則というものが、管理・支配する側のためにあるのではなく、そこに暮らすひとりひとりの幸福に寄与するために存在すべきものであり、また、諸々の規則を真に理に適うものとするために、ひとりひとりには、その妥当性を徹底して批判的に考える権利と責任が課されていることを忘れさせてしまうのではないかと深く危惧させられるのである。
それがいかに理不尽なものであっても、しばらくのあいだ我慢をしてやり過ごせばいいのだ――という発想に陥ることを実質的に「鼓舞」するシステムが全国に隈なく張り巡らされていることの危険性について、もっともっと意識を向けてもいいと思う。
実際、そうした「権利と責任の放棄」は、大多数の「大人」にも当てはまることであり、その意味では、こうした危険は既に致命的なレベルに到達しているといえるのではないかと思う。

ところで、「成人発達論」においてひろく注目を集めている「後慣習的段階」といわれる段階の思考を確立するためには、こうした人格の基本的な領域に刷り込まれている「障害」をしっかりと治癒することが非常に重要になると思う。
特に同調圧力が強い日本で人格形成をしたわれわれは、半ば不可避的に、こうした基礎的な領域で深刻な脆弱性を心の内に抱えて生きている。
発達心理学者が言うように、基礎的領域における脆弱性は必ず「高次」に向けた成長を阻害することになる。
先に「進む」ためには、どうしても「戻る」必要があるのである。
それは、端的に言えば、自己の「影」(Shadow)に内包されている課題を省察するということであり、また、そうした問題が次世代に再生産されることがないように、社会的な発言や活動をするということになるのだろう。

「後慣習的段階」といわれる段階の思考を特徴づけるのは、「自己」という主体がいかなる文化的・社会的な文脈の中で形造られてきたのかということについて歴史的な視点をとおして深く省察できることでもある。
即ち、そこでは、重要な問題は、「どうすれば成長・発達できるのか?」ではなく、「そもそも“自分”という存在はいかなる要素が複合的に相互作用することにより、ここに存在しているのか?」というものに変質していく。
そこでは、「わたし」という「存在」はひとつの「虚構」として、「構築物」として眺められることになるのである(あるいは、特に洞察力をそなえた人であれば、そもそも、そんなものは実在しないことに薄々と気づくことになるかもしれない)。
そのとき、人は、そうした「虚構」を「成長」させたり「発達」させたりすることの無意味さを深く認識することになる(その意味では、少々逆説的ではあるが、「成長」や「発達」というイデオロギーから醒めることが、成長・発達を実現することであるといえるのかもしれない)。
むしろ、先ずはそれまでの自らの人生をそうした「虚構」の中に絡めとってきた社会的・文化的な影響に興味が向くことになるのである。

このところ、様々なところで、成人発達理論に関する概要を紹介させていただく機会に恵まれるのだが――正に、ケン・ウィルバーが指摘するように――今日われわれが直面する最大の課題は、社会全体が集合規模で半ば病理化した「体制順応型」(Amber)段階の呪縛に絡めとられつづけていることである(いわゆる「空気の支配」)。
もちろん、それは、日本だけでなく、人類全体にいえることである。正に、それゆえに、われわれは、表面的には合理的に思考しているようでありながら、結局は「空気」をとおして「供用」された物語を合理的に正当化するような思考をすることに陥っているのである。
あたえられた規則や空気を唯々諾々と受け容れて、そこに適応して生きていくように人格形成期に刷り込まれてしまうと、自律的な思考をするために必要とされる精神の筋肉を鍛錬することがないままに年齢を重ねてしまうことになる。
そうした基盤の上に自律的思考力(Orange)以降の思考力を確立するのは、途轍もなく難しいことになるのは明らかであろう。
そうした意味では、成人期の発達支援に真摯に関与しようとするほど、人々の基礎的な人格形成期に影響をあたえる社会的・文化的な状況に関して深い問題意識を抱くことにならざるをえないのだろう。