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「ティール」という言葉の意味するもの

今『ティール組織』という組織がひろく読まれているが、ここでいう「ティール」とは、アメリカの思想家のケン・ウィルバーが提唱するインテグラル理論の中でこれまで「Vision Logic」段階と名付けられている人間の意識の発達段階のことを指している。

もちろん、Harvard Graduate School of Educationの研究者の調査では、この段階の認知能力をある程度恒常的に発揮できる人間の割合は総サンプルの中でも数%にも満たないので、実際には、上記の書籍の中で紹介されている「ティール組織」において、その構成員がそうした段階の認知構造を持続的に発揮しているということではない。

むしろ、何らかの制度的・文化的な仕掛を活用することで、個々人の発達段階にかかわらず、いわゆる「ティール」という言葉で想起される行動様式が組織の中で成立しているという事例を紹介しているのである。

個々人の意識が成長させるための方法を呈示するのではなく、その共同体に参加することで、おのずと行動が自己の個人的な能力をこえたレベルで発揮されるような仕組を呈示するというのが、書籍の趣旨だと思う(そして、それは非常に賢明な発想だと思う)。

ただし、21世紀の先進国においても、営利・非営利を問わず、実質的には大多数の組織の関係者が、強烈な同調圧力のもと、組織という「部族」に殉じるために半ば全ての能力を発揮することを求められている状況を鑑みると(先日の「証人喚問」における「証人」の行動論理は正にそうした時代の状況を端的に示したものだといえる)、その先の先にある行動論理が組織の関係者により常態的に発揮される時代が到来すると想像するのは非常に難しい。

もしそのようなことを無防備に想像している人がいたとするならば、正直なところ、そうした夢物語に夢中になるまえに、先ずは目の前の現実を直視するべきではないかと言いたくなってしまう。

しかし、同時に、もしその人が、そうした現実を見据えながらも、尚そうした高次の可能性について真剣に検討しているとすれば、それは真に素晴らしいことだと思う。

ただ、そのときにひとつ確認すべきは、いわゆる「ティール組織」といわれる組織を安定的に成立させるために、そこに生きる個々人に求められる認知構造がどのようなものであるのかということである。

Kurt FischerのConstructive Developmentalismでは、「advanced systems thinking」といわれる認知能力がそれにあたるのだと思うが、これは非常に透徹した世界の洞察を可能とする段階であり、それゆえに、それを発揮することには、大きなリスクが伴うことになる。

端的に言えば、それは、あたえられている課題や問題に最も効果的・効率的に対処しようとするのではなく、そもそもそれが「課題」や「問題」として存在している構造そのものに着目する段階である。

社会は、実際のところ、それらの課題や問題として存在していて、それにたいして異なる立場の関係者が延々と議論や軋轢を生みだしてくれていることで安定もするし、また、特定の階層の関係者は、そうした状態が維持されることで利益を守ることもできる。

しかし、advanced systems thinkingは、そうした構図そのものを意識化して、それを批判的に超克しようとする。

日本の受験勉強を例にとりあげると、「そもそもこのような『勉強』にとりくむことを国民に強いる『教育制度』とは、果たしていかなる思惑や目的のもとで維持されているのか? また、それを温存することに拘泥する社会構造とはいかなる構造なのか?」等の問いを発することから思索をはじめる意識である。

「受験」という「ゲーム」にいかに勝つのかという思索ではなくーーまた、「それには問題もあるが、とりくみ方次第では意味のある勉強もできる」という発想に陥ることもなくーーそれが「虚構」であることを看破して、それを「現実」であると錯覚させている構造を解き明かそうとするのである。

その意味では、単にあたえられた競争の中で勝利を収めるための知識や洞察を得るためにこうした発達理論にもとづいた書籍に接するのであれば、そこには根本的なところで誤解をしているといえるだろう。

一般的には、ビジネス書というものは、どれほど話題になっても、しばらくすると忘れられてしまうものだが、そうした状況を回避するためにも、そこで扱われている中心概念に関してもう少し慎重に吟味をする必要があるのではないだろうか……?

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