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音楽大学オーケストラ・フェスティバル等

この時期には東京の音楽大学による演奏会が頻繁に開催される。とりわけ、川崎と池袋で開催される「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」では、9つの音楽大学の在学生により編成されたオーケストラが集い共演をするのだが、これほどまでに組織化されたイベントは世界的にも珍しいもので、その充実度には感嘆させられる。総じて演奏の水準も高く、また、次世代を担う音楽家達の真摯な演奏には、どれほど擦れた音楽愛好家でも素朴な感動を覚えることだろう。
今年は、例年通り東京藝術大学が別次元の演奏を繰りひろげていたが、桐朋と国立と東音がそれに肉薄する気迫ある演奏で深い感動をもたらしてくれた。また、武蔵野音大の合唱団には圧倒的な感動をあたえられた。

 

11月25日(日曜日)

東京芸術劇場で上野学園大学と桐朋学園大学のオーケストラの演奏を聴く。共に見事な出来栄えだ。前者は、清水 醍輝の的確な指揮に支えられて、レスピーギとプロコフィエフの色彩的な娯楽曲を非の打ち所の無い合奏力で披露した。後者は、ホルストの『惑星』だが、舞台からあふれるほどの巨大編成を駆使して、正に大管弦楽曲を聴く醍醐味を満喫させてくれた。沼尻 竜典の指揮はきびきびとしたもので、オケは少し荒れ気味のところもあったが、そんなことをものともせず、巨大であり、また、ときに繊細で神秘的な音響の中に聴衆を惹きこんでいく。素晴らしい。

 

11月30日(金曜日)

東京オペラ・シティで武蔵野音楽大学管弦楽団&合唱団による第九の演奏会を聴いてきた。同僚の御子息が舞台に上がることもあり、その応援を兼ねて出かけたのだが、先週の川崎の演奏よりも、総じて練れた演奏になっていたと思う。終焉後の客席も大いに沸いていた。隣にいた男性の二人組は「これが学生の演奏とは到底思えない」と感激の言葉を交わしていた。
北原 幸男の指揮は基本的にインテンポで前進していくもので、個人的にはもう少しタメが欲しいと思われる個所があったが、その違和感も今日の方が少なかった(川崎の演奏を聴いたときには、全く共感できなかったのだが……)。
残念ながら、武蔵野音楽大学のオケは金管と木管が弱く、しばしば覚束ないところがあるので、聴いていて心配になるのだが、少なくとも今日は第3楽章のホルンの大きな事故もなく、無事に演奏をした。奏者の方も安心したのではないだろうか……。
この日の演奏で気を吐いていたのは、特にチェロ・セクションで、安定した弦楽セクションの中でも光っていた。
また、噂には聞いていたが、武蔵野音楽大学の合唱団は非常に素晴らしい。終楽章に合唱がはいると突然演奏の次元が上がる。
もちろん、川崎とくらべると、オペラ・シティは容量が少ないために、とりわけ第4楽章では、この優秀な合唱団の声が十分に壮麗に響きわたらないために魅力が減じてしまうのだが、そのようなことがほとんど気にならないほどの終楽章の充実度だ。
ソリストは、井出 壮志朗さんが突出しており、見事な歌唱を展開していた。鈴木 俊介さんもそれに次いで優れた歌を披露した。女声のソリストは少々苦戦していたようで、特にソプラノの山口 遥輝さんは声量的に少々無理があるのではないかと思った。
それにしても、この作品を聴いていると、各楽章があたかも宇宙に息づく元型的なダイナミクスを幾何学的に示した作品のように思われてくる。とりわけ第1〜3楽章はそうしたことを感じる。そして、第4楽章になると、人間の存在が前面に出てきて、人間と宇宙の元型の呼応が起きるのである。

 

12月1日(土曜日)

ミューザ川崎で昭和音楽大学・国立音楽大学・洗足学園音楽大学の在学生オーケストラの演奏会を聴いてきた。いずれにも優れた演奏で、会場は大いに沸いていた。 個人的にとりわけ感心したのは、国立音楽大学の演奏で、オーケストラのアンサンブルがまるで常設団体のそれのように非常に練れたものとなっており、この聴き慣れた作品(チャイコフスキーの交響曲第5番)にあらたな光を当てようとする追求力をそなえた名演に結実していた。現田 茂夫氏の解釈も、正にいっさいの手加減のないもので、芸術表現として徹底的にこだわりぬいたものだった。もちろん、小さな「事故」があるが、全体としてアンサンブルが非常に強靭で、全てのセクションの能力が高いレベルでバランスがとれていることが窺い知れた。確か、昨年の同イベントでは国立音大はブラームスの交響曲第2番を演奏したと記憶しているが、今年の出来はそれを大きく凌駕していた。
昭和音楽大学管弦楽団はリムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』を演奏したが、これは、コンサート・ミストレスの淵野 日奈子さんが奏でる陶然とするような美音もあり、猛り狂う男性性とそれを慰撫する女性性が精妙に溶け合う実に素的な演奏となった。また、第1楽章と第4楽章はオーケストラが大きく咆哮する見せ場が連続することもあり、聴衆を魅了した。
いっぽう、個人的には、第2楽章と第3楽章に関しては、音の魅力そのものーー即ち、演奏者の芸術性そのもの――で勝負する必要がある楽章であるために、その点で演奏の訴求力が落ちたと感じた。特に第3楽章はもっともっと酔わせてほしいと思った。
指揮の斉藤 一郎氏の演奏は初めて接するが、何よりもテンポ設定が的確で、作品の濃厚な魅力を余すところなく演奏者から引き出していた。また、正面席から眺めていて、その動作そのものが音楽の中に息づく秩序をダイナミックに炙り出しているように思えた。才能のある指揮者なのだろう。
最後の洗足学園音楽大学管弦楽団はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を演奏した。これも、名匠・秋山 和慶氏の指揮に支えられ、安定した演奏となった。ただ、このイベントでは、先に東京芸術大学のオーケストラが同曲を披露しており、どうしてもそれと比較されてしまうことになる。あの精妙で輝かしく、また、驚異的なまでにダイナミックな彼等の演奏とくらべると、今日の演奏は特色の薄いものに思えてしまう。もちろん、これはあくまでも比較の話なのだが……。
もちろん、これは指揮者の特色を反映したものでもあるのかもしれないが、総じて安全運転で、個人的には、こうした異形の作品であれば、もっともっと臨界点をこえた響きを聴かせてほしいと思った(たとえば、第5楽章のクライマックスなど)。

 

12月8日(土曜日)

広上 淳一の指揮を漸く生で聴くことができた(R. シュトラウスの『ツァラトゥストラ』)。東京芸術劇場で東京音楽大学の在学生のオーケストラを指揮したのだが、無難にまとめようとするのではなく、演奏者が「一線」を超えて表現力の限界に向けて挑むことができるように指揮をしていることが、その動作から明瞭に窺える。ライブにおいては、聴衆は正にそうした演奏を期待しているのだし、また、演奏者は、たとえどれほど経験を積み重ねたベテランであろうとも、そうした演奏をとおして自己の能力をひろげていくことができるわけで、広上氏がこれほど高く評価されているのには、当然の理由があるのである。
個人的には、数年前に同会場で聴いたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの演奏よりも、曲の魅力が素直に届いてきた。
もちろん、この作品は、オーケストラが巨大な咆哮をあげる箇所があるかと思うと、個々の演奏者の技量を求める室内楽的な個所も頻繁にあるので、東京音楽大学の在学生達は、特に金管・木管に小さな事故を頻発させていたが、そうした技術的な未熟さを補ってあまるほどの情熱を湛えていた。ほぼ満席の聴衆にあれほどの感動をもたらしていたということそのものが成功の証といえるのではないか……。
いっぽう、東邦音楽大学は、大友 直人の指揮でサン・サーンスの交響曲第3番を演奏したが、こちらは、この指揮者の特徴でもあるのだろうが、常に余力を残した演奏を心懸けるものだった。個人的には、表現の限界に果敢に挑む演奏の方が断然好きではあるが、この作品そのものが神聖な息吹が涼やかに空間を満たしているような透明な響きを常に漂わせるものであるだけに、こうした「大人」の演奏も説得力があると思った(実際あれほど壮麗な響きを生み出す作品でありながら、それほど大きな編成でないことが驚きで、この作曲家の達者振りに畏敬の念を抱いた)。

 

12月8日(土曜日)

東京芸術劇場で東京音楽大学の在学生のオーケストラ(TCO Symphony Orchestra)を聴いた。前半はモーツァルトの交響曲第35番とジョリヴェの打楽器協奏曲、後半はR. シュトラウスの「ツァラトゥストラ」そして、アンコールは、ブラームスの「悲劇的序曲」という構成である。
先週、同じ会場で「ツァラトゥストラ」は聴いていたが、そのときの演奏よりも練度が上がっていた。とりわけホルン・セクションが大健闘しており、演奏全体を通じて響きの官能性を高めるのに大きな貢献を果たしていたと思う。また、各弦セクションのトップが互いに絡みある室内楽的な箇所では、各奏者が確かな技術で美しい旋律を切々と奏でていた。第2部冒頭近くのトランペット・ソロに小さな事故が続いたのが少々残念ではあったが、全体としては非常に見事な演奏だったと思う。また、広上 淳一氏の指揮も優れたもので、響きを過度に膨張させないように心気味引き絞りながら、尚且つ全強奏の部分では、あたかもオーケストラ全体が呼吸をするように有機的に巨大な響きを生み出していた。冒頭の「日の出」の箇所では、オーケストラが最後に爆発するまえに一瞬のあいだ静まるのだが、そのダイナミクスには心の底から震えた。
前半のハイライトはジョリヴェの協奏曲だろう。ソリストの吉永 優香さんが正に七面六臂の活躍で、舞台の前に並べられた様々な打楽器を次々と持ち替えて演奏していく。打楽器奏者の腕前を披露するためのショー・ピースとして素朴にたのしませていただいたが、こういう視覚的なたのしさはライブでないとあじわうことはできない。
近年、コントラバスが8本はいるモーツァルトは聴くことができないので、それはそれで期待していたのだが、如何せん作品との相性が悪く、最後までたのしめずに終わった。
いずれにしても、非常に充実した演奏会だった。また、客席は8〜9割埋まっていて、この二時間以上にわたる演奏会中、大きな騒音を立てることもなく、実に集中して聴いていた。季節柄、演奏会に行くと周囲の騒音に悩まさられることが多いのだが、この日はそういうことがなかったのも、嬉しかった。

 

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