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不思議な演奏会

新日本フィルハーモニー 第601回 定期演奏会(3月22日)
指揮:上岡 敏之
ピアノ:Claire Marie Le Guay

 

不思議な感動と発見をもたらしてくれた演奏会だった。
演奏会を聴き終えて会場の墨田トリフォニーを後にしながら、全身に感じたのは、NJPの音楽監督の上岡 敏之という指揮者がヨーロッパの精神と実に深いところで繋がっていることにたいする驚愕に近い感覚であった。
今日 世界的に活躍する日本出身の指揮者は数多くいるが、果たして上岡氏ほどにヨーロッパの精神の神髄をその存在そのものに宿している指揮者がいるかというと、それは「否」といわざるをえない。
もちろん、他にも非常に優れた日本人指揮者はいるが、上岡氏に関しては、比較を絶したものを感じるのだ。
正にヨーロッパの集合的な精神がモーツァルトを生んだように、そうした集合的・文化的なものに貫かれた芸術家の匂いがするのである。
そして、個人的に畏敬の念を抱くのは、上岡氏が自己の感性がとらえたものをこの極東の地で妥協なく表現しようとしていることである。
その成果は会場に響いた瞬間に消えてしまうものであるが、そのあまりにも儚く消えてしまう響きを耳にしていると、そこに革命が企図されていることが実感されるのである。
個人的には、その志の偉大さに胸が突かれる想いに襲われる。

この日の演奏会では、モーツァルト・ラヴェル・マニャールの作品がとりあげられたが(そして、アンコールとしてフランソワ=アドリアン・ボイエルデュー(François-Adrien Boieldieu)という作曲家の歌劇「白衣の婦人」序曲が演奏された)、真に傑作と呼べるのはラヴェルの作品だけで(ピアノ協奏曲)、他の作品は実はそれほどの内容のある作品ではない。
それらの作品は、それぞれの作曲家の個性が強烈に刻印されたものであるというよりも、むしろ、彼等が生きた時代や社会の文化的な遺産に大きく依拠してまとめあげられたものであるといえる(こうした感覚は特にマニャールとボイエルデューの作品を聴いているときにとりわけ強く感じられた)。
ただ、上岡氏の演奏の非常に面白いところは、正にそうした作品の演奏をとおして、それらの作曲が依拠したヨーロッパの精神そのものが聴衆に届いてくるということである。
その意味では、この日の演奏会の面白さというのは、とりあげられたそれぞれの作品の内容にあるのではなく、むしろ、それらの作品の背後に横たわる集合的な精神の息づきに触れることができたところにあるといえる。
逆にこうした経験は作曲者の個性があまりに強烈でありすぎると得られないものなので、その意味では、こうした作品をとりあげることの意味は確実にあるといえるだろう。

いっぽう、モーツァルトの場合には、交響曲第31番という作品そのものには全く魅力を覚えないのだが、その作品の空虚さの中にモーツァルトの精神の脈動が実に活き活きと感じられる。
また、上岡氏の場合、とりわけモーツァルトとの相性がいいのか、少しでも乱暴に触ると毀れてしまいそうな繊細な響きの中に作曲家の精神が自由自在に飛翔する。
常に音量を六割ほどに抑えて、その中に豊かなニュアンスを封じ込めるその表現は正に大人の芸術表現であり、そして、ある意味では西洋の古典音楽のひとつの極致があるように思う。
上岡氏のモーツァルトに触れるとき、耳の肥えた聴衆の方々は今目の前で至高のモーツァルトが鳴り響いていることを確信するだろう。

ところで、この日の注目の的はマニャールの交響曲だが、聴いていて、随分と朴訥な作曲家だと思った。
また、朴訥であるにもかかわらず、「工夫」をこらして訴求力のある音楽を奏でようとするのだが、作曲者が自己の深いところにあるものを汲み上げることができていないために、そこには空虚さがつきまとい、作品の魅力に繋がらない。
結局、「借り物」の言葉でまとめられた作品を聴かされている感覚を覚えるのである。
随分前にアーノルド・バックスの交響曲の録音が続々と売り出さたときにGramophone誌等で随分と褒めあげられたが、そのときにCDを聴いた折に受けた印象と似たものを感じた。
端的に言えば「とりとめのない」作品という印象である。
正直なところを言わせてもらえば、忘れられるべくして忘れられた作品なのだと思う。

この日のハイライトは間違いなくラヴェルのピアノ協奏曲である。
何よりもNJPの伴奏が絶品である。
われわれの世代はシャルル・デュトワの録音でラヴェルの作品に馴染んできたのだが、このコンビの演奏には、それとは異なる魅力が横溢している。
それはまるで魔法が生まれる瞬間に居合わせているような感覚をあたえられる響きといえるだろうか。
特に第2楽章は絶品で、それはまるで静かな愛の告白そのものであるかのような気がした。
このコンビでラヴェルの管弦楽集が録音されることになれば、最高に素晴らしいものになるであろうことは間違いない。

 

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