<< November 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 優秀な人材が飛躍するために必要となるもの | main | 『エイリアン』最新作を観て >>
危険な香りがする言葉……

 

このところ本を読むことがめっきり減った。
継続的に購入はしているのだが、それを丁寧に読むことはなく、著者の講演の動画を視聴することで、ある程度の内容を掴んで済ませるということが増えている。
結局のところ、多くの時間を掛けて読むに価する内容があるのか……?――と問いかけると、大半の著書に関しては動画で大よその内容が掴めればいいという判断に至るということなのである。
それでは、あえて多くの労力を掛けて真剣に読みたいと思う書籍とはどのようなものなのか……?――と問えば、それは「破壊性」を内に宿した言葉と洞察がそこにあることが条件となる。
換言すれば、自身の価値観や世界観を打ち砕いてくれる破壊的な洞察や感性を秘めているのかということが重要な判断基準となるのだ。
どれほど豊かな知識や教養に支えられた著書でも、この条件が欠けていると読みはじめてすぐに退屈してしまう(また、単なる知識を集めるだけであれば、書籍ではなく、Web上で検索をすれば済む話である)。
そして、残念なことに、そうした著書が圧倒的大多数を占めているのである。
たとえば、先ほど世間で非常に高い評価を受けているある評論家の著書をパラパラと眺めていたのだが、この著者の作品にあまり関心が向かないのは、結局そうしたところにあるのだなと納得した。
そこには危険な香りが全くしないのである。
そういう行儀のいい教養にはもう食指が動かなくなってしまった。
「知」の役割は多様にある。
ひとつは現状を正当化すること、そして、もうひとつは現状を超克するための可能性を照明することだ。
たとえば、いわゆる「実用書」は正に前者の範疇にはいるものといえるだろう。
社会の中で営まれている「Game」の中で成功を収めていくための具体的な方法が解説されている。
また、たとえそれが「変革」や「革新」を謳うものであっても、結局のところ、既存のGameの妥当性を受容するところから発想するものが殆どである。
それはやはり前者に属するのである。
いわゆる「知識人」の重要な責任とは、ひとつには後者の発想を社会に提供することにあるはずなのだが、残念ながら、そういう言葉がこのところめっきり減ってしまった……。

 

Trackback URL
http://norio001.integraljapan.net/trackback/313
TRACKBACK