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上岡敏之&新日本フィルハーモニーのワーグナー・プログラム

サントリー・ホールで新日本フィルハーモニー&上岡敏之のワーグナー・プログラムを聴いた。
いつものようにとても個性的な解釈に溢れていたが――驚くほどの弱音にたいするこだわり、そして、長い間の見事な頻出――何よりもワーグナーとブルックナーが漸くつながったという感覚をあたえられたことが嬉しい。
端的に言うと、このふたりは対極的ともいえるほどに異なる霊的な深化と浄化の過程を辿ったといことが、そして、最終的には共に非常に崇高な領域に至ったのだということがみえたのである。
今日のプログラムは正にワーグナーの魂の遍歴を追う構成になっていたが、最後の「パルシファル」は西欧音楽の真に究極的な世界を開示するものであったし、それが圧倒的な芸術性で表現されていた。
演奏を聴いていると、ありきたりの情緒的な感動とは異なる畏怖の念が沸いてきて、静かに温かい泪が溢れてきた。
演奏会であじわえる最高の体験である。
但し、選ばれた版については、大きな不満を覚えた。
とりわけ、冒頭に演奏された『タンホイザー』の「序曲とバッカナール」(パリ版)は、特に後半のバッカナールが著しく格調が落ちてしまうために、いわゆる「通常版」を聴くときのカタルシスを全くあたえてくれない。
また、後半のはじめに演奏された『神々の黄昏』の「ジークフリートのラインへの旅」はこれから盛り上がるというところで実に乱暴で醜悪な削除があり、この曲を聴く喜びをあたえてくれないばかりか、大きな苛立ちを感じさせるほどである。
また、こうした劣悪な編曲もあり、聴衆も余韻が消えるまえにフライングの拍手をする始末。
こうした点では、あえてこれらの版を選んだ上岡氏の見識を疑いたくなった。
多数のマイクが設置してあったが、あえて短縮版を用いることでCD1枚に収まるように演奏時間を縮めようとしたのか、あるいは、あえて最後の「パルジファル」までは聴衆にカタルシスをあじわうのを禁じようと意地悪をしたのか……。
逆に、「ジークフリートの死と葬送行進曲」はたいへんな名演で、普通であれば音量を維持して奏されるパッセージで何の前触れもなく突然挿入される弱音は正にそこに死の暗黒の世界が現出したようで凍りつくような想いをした。
そして、最後の「パルジファル」の抜粋は正に至高の演奏としか表紙用のない演奏だった。
尚、この日のNJPのアンサンブルは、個人的には――たとえば先日の『復活』とくらべると――いまひとつという感想を抱いた。
たしかに十分に美しいのだが、音の立ち上がりの部分でそろわない箇所が散見されたし、それに、このコンビであれば、もう音を聴いているだけで陶酔感をもたらしてくれるほどの美音を期待してしまう。

 

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