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「カキストクラシー」=「極悪人政治」

今日の政治について批判的に検討をするうえで、決定的に重要な条件が、今日の支配体制そのものがいわゆる「サイコパス」により支配されているという認識を持つことである。
即ち、今日の政治は、人類の最も極悪な人間により執り行われているという事実を認識することが必須の条件となるである。
この認識無しに、あれこれと議論をしていても、今日の社会の真実に接近することは絶対にできない。
専門用語では、こうした政治体制を「カキストクラシー」(Kakistocracy)と呼ぶそうで、日本語では「極悪人政治」・「悪徳政治」と翻訳されている。

University of Groningenの認知心理学者Tjeerd Andringaが、ジェイムズ・コーベット(James Corbett)と興味深い対話をしているが、その中でAndringaは、「権力構造・支配構造の中枢にいる人々の醜聞が公になるときになぜこれほどまでにひんぱんに人身売買や性的虐待に絡む話題が浮上するのか」という問題を正面から掘り下げている。Andringaは、そうした行為が権力構造を維持するために非常に重要な役割を担っていることを指摘している。

Andringaの分析を簡単に紹介しておきたい。

 

Pedophiles in Politics: An Open Source Investigation
https://www.corbettreport.com/pedophiles-in-politics-an-open-source-investigation/

 

 

極悪人政治下において、幼児虐待が頻繁に行われるのは、それなりの理由がある。
即ち、そうした政治体制下においては、幼児虐待がひとつの役割を担っているということなのである。
いうまでもなく、極悪人政治において権力を掌握するのはサイコパスといわれる人達であるが、そうした性質は必ずしも子孫に遺伝するとは限らないために、彼等は自身のこどもが自己と同等にサイコパス的な性質をそなえているとは限らないことに悩まされることになる。
このために、彼等は、自身のこどもを育成するだけでなく、社会からひろく人材を集めなければならなくなる。
そうした人材は――彼等と同じように――他者にたいする慈悲や共感をもたず、また、強烈な権力志向を有している必要がある。
また、そうした人材は――彼等と同じように――世界というものを深くひろく理解したうえで高い能力を発揮できる人材である必要がある。
普通は、世界というものを深くひろく理解することができれば、そこには知恵や叡智がもたらされ、社会にたいする責任感が生まれるものである。また、そこには謙虚さも生まれるであろう。
しかし、極悪人政治が必要としているのは、それとは真逆のものである。
それは世界というものを深くひろく理解する洞察力を必要とするが、それを品行方正さを装いながら、完全な無慈悲さをもって活用できる能力を必要とするのである。

そこで重要となるのが幼児虐待である。
虐待を受け、健全な精神を形成するために必要とされる安心感・信頼感を損なわれることで――そうした安全観は世界に意識を開き、ものごとを学習・発見しようとするための基盤となる――こどもは「反応性愛着障害」(attachment disorder)を患うことになる。
このように根源的な安心感・信頼感を破壊されることで、そのこどもにとって世界は可能性に溢れた場所から、危険性に溢れた場所に変化することになる。
そして、そうしたこどもたちは、自身を保護・庇護してくれる他者を探し求めるようになり、その過程で自己の自律性を放棄することになる。
また、こうした傾向は彼等のこどもにも継承されることになる(結果として、世代をこえて自律性の発達が阻害されることになる)。
貴族や僧侶達は、虐待されたこどもたちが便利な召使や奴隷になることに遥か昔に気づいていたのだろう。

こうしたことは、普通の倫理的な感覚を有している者には唾棄すべきものであるが、サイコパスにとっては、他者は道具に過ぎないのであるから、むしろ、理に適ったことなのである。

しかし、こうした仕組みだけでは、極悪人政治を維持するために必要なサイコパスを十分に確保することはできない。
品行方正な装いをまといながら、非常に高度な能力を完全に無慈悲に発揮するサイコパスが大量に必要なのである。
結局のところ、慈悲や共感や良心に煩わされず他者を道具のように搾取できるサイコパスの割合は人口の数%程である。
また、そうした人達の大多数はそれほどの悪人ではない。
確かに彼等は無慈悲であるかもしれない。むこうみずであるかもしれない。無神経であるかもしれない。
しかし、彼等は社会規範を遵守する方法をなんとか見出して生活をしている。
彼等は冒険家であったり、軍関係者であったり、救急医師であったり、車販売員であったり、不動産仲介家であったり、あるいは、ホワイト・カラーの犯罪者であったりする。
しかし、彼等のほとんどは、権力者が同胞とみなすような、高度の能力を有した人材ではない。

それでは、いかにしてそうした適性をそなえたサイコパスを継続的に集めることができるのだろうか?
しかも彼等は表立ってそれと宣伝することができないのである。

そこで再び重要となるのが幼児虐待である。
先ず彼等は野心と能力の溢れたひとたちを対象としたイベントを開催する。
そして、彼等は参加者達が徐々に品行方正さを脱ぎ棄てて、実は自身が徹底的に無慈悲であることを開示できるように御膳立てをしていく。
こうしたイベントこそが極悪人政治を維持するための理想的な採用会場なのである。
もちろん、恐喝(blackmail)は重要な役割を担うことにはなる。しかし、適確な候補者は喜んで恐喝される立場に自己を置くものだ。それにより、極悪人政治の深奥にはいれることを熟知しているからである。
彼等は、自身を恐喝の脅威に晒すことにより、自身が価値のある忠誠な構成員であることを証明するのであり、そして、そのことをとおして、それまでに夢にも思わなかったような権力にアクセスをすることができるようになるのである。
そして、自身の能力に相応しい待遇でシステムに受け容れられたことを実感できると彼等はこれほどまでに大きな「機会」をあたえてくれたシステムを維持するために貢献をしようとするのである。

これがエリート層に蔓延する児童虐待のネットワークを支えるダイナミクスである。
注意すべきは、それが決して一回限りのイベントではないということだ。
それは極悪人政治が自己を維持し活性化するための本質的な仕掛なのである。
それは正にその日常的な要素なのである。
今回のように、こうしたネットワークの存在が暴露される極稀な瞬間において、われわれは極悪人政治がいかに活動しているのかを覗き込むことができる。

 

 

以上がAndringaのコメントの翻訳である。
重要なことは、こうしたシステムにおいては、人並外れた野心と能力を有する者達を集め、潜在するサイコパス的な「素養」を徐々に開発するための仕掛が準備されており、それが世界的規模で維持・運営されているということである。
サイコパスに関する研究所を眺めると、サイコパスの特性として、人間の中に潜在するサイコパス的な特性を惹起ひきだし、そうした特性を発揮することが問題視されないような環境を自己の周囲に造ろうとする傾向があるということが述べられているが、正にそうしたメカニズムが堅牢に維持・運営されていることがAndringaとCorbettの会話の中で言及されている。
また、人間とは弱いもので、巨大な権力を獲得するために、自己の中に潜在するサイコパス的な特性を開花させる者はいつの時代にも無数にいるものである。
あえて犯罪的な行為に手を染めて、それを恐喝材料としてあいてにさしだすことをとおして、自己の忠実さを証明して、権力構造の中枢にはいる権利を獲得する――こうした取引をとおして、サイコパス的な素養を開花させた者達が緊密な支配構造を構築しているのである。

上品に掃除された政治理論は無数に存在して、それらが世界各地の教室で教授されているが――また、そうした理論にもとづいた熱心な議論が論壇で闘わされているが――少し醒めて眺めてみれば、実際の政治においては、そんなものが全く無意味であることは自明である。
Harvard Medical Schoolの心理学者Martha Stoutは、サイコパスというものを理解するうえで最もむずしいのは、一般の人々にとり、それが正に想像を絶するものであるからだと述べている。
サイコパスの感性があまりにも自身と異なるものであるがゆえに、そんな人間が存在するはずはないと錯覚してしまうのである。
正にこの錯覚を超克することなしには人類社会が健全になることはないのである。

 

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