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「発達は幸福を保証しない……」

インテグラル理論を紹介するときに、往々にして紹介者が忘れてしまうのが、“Atman Project”という概念である。
これはThe Atman Projectをはじめとする初期の著書の中でケン・ウィルバー(Ken Wilber)が膨大な頁数を割いて解説していた最も重要な概念のひとつで、インテグラル理論の立場から人間の発達について深く理解するうえで必須の洞察である。
同著の中ではウィルバーはアーネスト・ベッカー(Ernest Becker)のThe Denial of Death(『死の拒絶』)の主張を参考にしながら、人間の発達というものが本質的には「自我」「自己」という虚構を構築して、それを維持しようとするプロセスであることを指摘している(尚、仏教学者のデヴィッド・ロイ(David Loy)はベッカーの洞察を仏教の文脈の中で発展させた非常に優れた論考を多数発表しているが、それらの一部は邦訳・出版されているので、是非参照していただきたい)。
即ち、発達というものは、死を宿命づけられた存在である人間が、その現実から逃避するために、物理的・心理的・精神的な「支え」を次々とこしらえるプロセスそのものであることを指摘しているのである。
その意味では、発達とは死にたいする防衛機能を高めていくプロセスなのである。
そのために、人間は発達を成し遂げれば成し遂げるほどに自己の死にたいする恐怖を深めていき、その脅威が襲い掛かるのを少しでも先延ばしするために、高度の知性を駆使して、様々な創意工夫を試みる(創造性の源には常に死の恐怖が息づいているのである)。
換言すれば、人間は、発達をすればするほど、自己の意識が抑圧する実存的な現実(自己の存在が死を内包しているという現実)と闘い、それを克服しようとする倒錯した営為に自己を投じていくよう宿命づけられているのである。
インテグラル理論の本質的な問題意識とは、この倒錯の輪に囚われた人間を救済するための方法を呈示することである。

ウィルバーの発達に関する見解をまとめれば、以下のようになるだろう:

人間は自己の実存的な現実を拒絶して、自己のありのままから逃避するために発展してきた。
そこには常に嘘がある。
そして、そのことを糊塗するために無数の悪行を積み重ねているのが人間なのである。
その意味では、人間存在は嘘と悪を深く包含しているのである。
確かに「発達」は、人間の創造性を喚起することで人間の尊厳を高めることに寄与するが、同時に人間の「嘘」や「悪」を深め、その破壊性を高めることにもなる。
たとえば、今日、人類は石や棒で殺し合いをしている時代には想像もしなかった破壊性を得て、この惑星そのものを殺傷できる力を獲得している。
発達というものは必ずしも人間を幸福にするものではなく、ある意味では、人間の悪を増幅することで、生きることの苦悩を深めることになるのである。

国内・国外を問わず、現在のインテグラル理論にたいする興味・関心は、「発達をすれば、仕事ができるようになるはずだ……」「発達をすれば、人生がたのしくなるはずだ……」等の「夢」に支えられている側面があるように思う。
実際、一部の理論家や研究者も「端的に言えば、発達をすれば仕事ができるようになるのです」と主張する者がいるのも事実である。
しかし、それは、大きな誤解を生む危険な紹介の仕方といえるのではないだろうか(極言すれば、それはもう「詐欺」に近いのではないか……)。
もし発達を遂げることが真に意味を持ち得るとすれば、それは、そうした夢物語から目醒めるための内省力をもたらしてくれるような発達を実現することであろう。
ウィルバーはそうした内省ができるようになるのは、前期Vision Logic段階(Early Systems Thinking)(いわゆるGreen〜Tealといわれる段階である)であると説明しているが、いっぽう、ロバート・キーガン(Robert Kegan)は代表作In Over Our Headsの中でそうした段階に到達してしまうと、人々は往々にしてそれまでの環境の中に意味や居場所を見出すことができなくなり(例:企業組織)、しばしば、終わることのない研究休暇にはいることを余儀なくされると述べている。
こうした段階はいわゆる「後慣習的段階」(post-conventional stages)と形容され、それまでに外部の世界に放射されていた意識を自己の内面にひきもどし、みずからが死すべき存在であることを直視したうえで、あらためて意味を探求しはじめる段階といわれる。
死の瞬間にそれまでの人生をとおして構築・蓄積してきた達成が悉く失われてしまうのであれば、人生をとおして真にたいせつにすべきことは何なのか……?――といった問いが真に重要性を持つことになるのである。
そして、それは半ば不可避的に実存的な危機をもたらすことになるのである。
キーガンの同僚のSusanne Cook-Greuterはしばしば「発達をすることは幸福を保証するものではない」と述懐していたが、こうした「常識」が忘れ去られ空疎な夢物語が跋扈する状態がひろく蔓延するのは回避しなければならない。
それが夢物語に過ぎないことに人々は遅かれ早かれ気づくはずだからである。

 

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