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凄いブルックナーを聴いた

東京都交響楽団 第883回 定期演奏会Bシリーズ
日時:2019年7月25日(木)
場所:サントリーホール
指揮:アラン・ギルバート
曲目
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 《プラハ》
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 WAB104 《ロマンティック》(ノヴァーク:1878/80年版)
https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3235

 

凄いブルックナーを聴いた。
昔のファンが過去の伝説的な演奏会のことを語ることがあるが、今日の演奏会は正にそういう域に達した演奏だったのではないだろうか……。
特に「哲学的」「宗教的」な演出を施しているわけではなく――むしろ、指揮者は音響の彫琢に意識を集中しているようにさえ思える――音楽そのものが瑞々しい恩寵を届けてくれる。
神聖な光を浴びて自然の中を逍遥しているような感覚に包まれると共にここぞというときに生み出される深い音響が畏怖と敬虔の念を心の中に生み出す。
交響曲第4番は5番以降の作品とくらべると内容的に少し落ちるといわれてきたが――また、個人的にもそのように思ってきたが――今日の演奏を聴いて、そうした考えをあらためさせられた。
第4楽章が突出して優れているのは周知のことだが、それに先行する諸楽章も実に奥深いものであることをはじめておしえられた気がする。
それにしても、東京都交響楽団の何という音楽性と献身性!!
あれほど巨大な音響を生み出しながら、一瞬も煩さを感じさせない。
常に響きが豊穣で、それに身を浸しているだけで、全身を喜びが駆け抜ける。
正に世界最高水準のアンサンブルだと思う。
作品の性格上、金管楽器群が壮麗な演奏を繰りひろげるのは当然のことだが、個人的には、それを下支えするあのティンパニの妙技に心底痺れた。
ブルックナーの交響曲には、それまでの音楽の流れを断つようにして、超越的なものが突然にその姿を立ちあらわす峻厳な瞬間があるが、ギルバートは、こうした瞬間の処理が絶妙である。
彼は、そうした立ち上がりを「点」として設定して、全演奏者に一気に渾身の音を出させるのではなく、それをある程度の長さの「間」としてとらえたうえで、そこを緻密に設計して、各楽器群が順番に音を出させているように思うのである。
そのためにオケが過剰に力むことなく余裕をもって音を生み出せるために全強奏の音響が豊穣なものとして聞こえてくるのだ。
また、音響的にも、そこには垂直に屹立する壁が瞬時に立ち上がるというよりも、ある程度の幅の裾野を持つ音響構造が立ち上がるのだ。
もうひとつ面白いと思ったのは、上記のような場面において音楽が垂直的な局面に雪崩れ込んだときに、そこに水平的なダイナミクスを巧みにいれこんでいることだ。
それは彼の指揮姿に明確に示されていて、「ここでそう振るのか!!」と驚かされることが何度もあった。
そうなると音楽のベクトルが縦の一方向に向かうだけでなく、そこに横のベクトルが加わり、厳しいストイシズムに溢れたものから恰幅のいいものになる。
また、こうした全方位的な音響構造の中にティンパニの渾身の強打が加わると音が実に豪華になる。
そして、それが少しも俗っぽくない。
ひと昔前であれば、このレベルのブルックナー演奏は世界的にも稀のものだったのだろうが、1990年代の「ブルックナー・ブーム」を経て、作品解釈をめぐる集合的な知識が劇的に高まり、こうした最高水準の演奏が成し遂げられるようになったことを痛感した。
それにしても、今日の聴衆が醸し出す雰囲気は素晴らしいものだった。
サントリー・ホールで開催される定期演奏会では、フライング・ブラボーにしばしば苛々させられることがあるので、内心ヒヤヒヤしながら音楽を聴くことが多いのだが、今日の聴衆の集中力は素晴らしく、こういう人達と一緒に音楽を聴けるのは大きな幸せである。
音楽の「うねり」と共に聴衆の心が逐一動くのが察知できるのだが、これは聴衆が音楽に真に耳を澄まして、それを心に素直に受け容れているからこそ生まれる現象である。
今日は、日本のオーケストラの実力の高さとそれを支える聴衆の良質さを思い知らされた。
日本の聴衆のブルックナーにたいする献身的な愛情と理解は真に世界に誇れるものだと思う。

ところで、今日、アラン・ギルバートの生演奏をはじめて聴いたのだが、得手不得手が非常にハッキリした人だと思った。
前半のモーツァルトの『プラハ』は全くの凡演で、ひたすら退屈してしまった。
著しくリズム感を欠いたもっさりとした音楽を聴いていると耐え難い倦怠感に襲われ、睡魔と闘うのに必死だった。
『プラハ』を聴いて退屈するとは!!
あまりの酷さに帰宅しようかと思ったほどなのだが、とりあえずインターコンチネンタルホテルのロビーを散歩して気持ちをとりなおして、再び客席に着いたという次第。
しかし、後半のブルックナーの凄いこと凄いこと!!
構成要素を多く内包した作品を料理するのを得意としている人なのだろう。
こうしたタイプの指揮者のブルックナーは、作品にあたらしい光をあたえてくれるはずである。

 

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