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「大きな物語」の復権に対して警戒すること

先日参加した発達心理学者のSusanne Cook-Greuterによるウエブ・セミナーでは、先ず前慣習的段階〜慣習的段階〜後慣習的段階を概観する講義があったのだが、それを聞いていて、あらためて「統合的段階」(Teal段階に相当)が――少なくとも彼女の理論によれば――自身が構築した「メタ・ナレイティヴ」に思いの外に絡めとられやすいことを実感した。
「統合的段階」に到達すると、所与の物語を脱構築したところに生じる「空虚」を必死に満たそうとするかのように、物語を構築することに腐心するようになると言っているようにも思える。
教科書的には、これは「脱構築的発想」→「再構築的発想」という「発達」のプロセスとして描かれるが、果たしてそれが真に「発達」といえるのかということについては、少し慎重に考える必要があるのではないだろうか……
人間は物語に依存せざるをえない生き物ではあるが、そうした自らの性と意識的に対峙できるようになることが、高い内省力を発揮するとされる後慣習的段階の特徴であるはずである。
統合的段階に於いて構築される物語がたとえ非常に包括的な性格を持つことになるとしても、もし物語を構築する行為そのものが内包する「虚構性」に対する意識が希薄であれば、それは半ば退行的な営みに堕してしまうのではないだろうか……
慣習的段階に於いて、われわれは自らの生きる社会や時代にひろく流通する「物語」に呪縛されることになるが、後慣習的段階はそうした物語を対象化し脱構築することになる。
しかし、今日の説明を聞くと、後慣習的段階の第2段階といえる「統合的段階」に到達すると、そうして獲得した自由を放棄するかのように、再び物語を構築することに腐心するようになるとされる。
そうした説明を聞くと、そうした在り方が果たしてより成熟した状態といえるのかという疑念が沸いてしまうのである。
また、そうした構築作業にとりくむときに、人は意外と無防備に社会に流通する「大きな物語」に魅惑され、それを自己の物語として採用してしまう。
同時代に流通する物語に対して心理的な距離をとることができていると言いながらも、実際には意外とそれと同一化してしまう可能性があるのだ。
特に、このところ、そうした素材としておあつらえむきの魅力的な「大きな物語」があちこちに用意されはじめている(また、そうした物語がプロパガンダとして意図的に流されてはじめてもいる)。
そうした状況に於いては、物語の構築に腐心する統合的段階(Teal)は、その優れた知性を駆使して、単にありきたりの物語をより強固に社会に流通させる役割を果たすことになってしまうのではないかと思うのである。
実際、たとえばアメリカのインテグラル・コミュニティの「広報機関」といえる https://www.dailyevolver.com/ の発信などは、完全にそうした罠に陥っているように思う。
こうしたところにも、今日「インテグラル・ムーヴメント」が抱える問題が顕れているように思う。
Susanne Cook-Greuterによると、「物語」の本質的な虚構性を認識するのは、次の構築性認識段階(Construct-Aware stage)(Turquoise段階に相当)に於いてということだが、少なくともその萌芽は、いわゆる「脱構築的」な思考能力を発揮しはじめるGreen段階で発露しはじめるはずである。
それを考えると、いわゆる「Teal」といわれる段階の物語に対する執着振りは少々釈然としない。
また、もしこうした特徴が「Teal」の本質的な特徴であるとすれば、われわれは、こうした概念がひろく共有され「大きな物語」が「復権」していく中で、それが暴力的なものとならないように、そうとう警戒していく必要があると思う。