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「方便」の二側面

先日、御伝えしたように、明日のインテグラル理論講座では、いわゆる「方便」(skillful means)に関して解説をする。

https://www.holisticspace-aquarius.com/20200527integral/


先ほどまで資料を作成していたのだが、その過程で、この話題について語るためには、大きく二つのことを説明する必要があることを再認識した。
ひとつは、他者の視点や要求を勘案して、自己の謂わんとすることを的確に「翻訳」「包装」するスキルを習得するということ。
そして、もうひとつは、先日のBLOG記事でも紹介したように(http://norio001.integraljapan.net/?eid=369)、自己の把握した真実をありのままに表現する情熱と勇気を涵養することだ。
ケン・ウィルバーはこれらの両方について語っているが、どちらかといえば、前者に関してより多くの文字数を割いて説明していると思う。
そのために、この概念が少し一面的に理解されているように思う。
しかし、われわれが忘れてはならないのは、「方便」(skillful means)とは、他者に対して発揮されるものであるだけでなく、自己に対しても発揮されるべきものでもあるということだ。
自己を尊重するとは――自己を愛するとは――自己にあたえられた可能性を最大限に表現・発揮するということである。
その責任を回避することを心理学者のエイブラハム・マズローは「Johnna Complex」と呼称したが、それは自己にあたえられた可能性(あるいは、知識や洞察や認識や能力)を否定することであり、また、それを他者と分かち合うことを拒絶することである。
そして、また、それは、これから生まれてくる将来世代に対して、「今」を生きることを課された者が「今」為すべきことを怠ることにより、責任を放棄することでもあるといえる。
こちらの側面に関しては、本質的に同時代を生きる人達に対してというよりは、むしろ、次世代を生きる人達に対して責任を発揮するという要素が強くなることもあり、現代を共にする人々と対決することも厭わない意志と勇気と情熱が必要になる。
そこでは正にウィルバーが指摘するように恐怖との対峙が必要となるのである。
換言すれば、それは自己の内に息づく「未来」に対して責任を負うということだといえるだろう。
「方便」(skillful means)の実践に於いて最も難しいのは、このあたりにあるのかもしれないと思う。